「取引所増設す可し」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「取引所増設す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

取引所増設す可し

東京の株式取引所は市内に一個所と限られて商賣社會一般の不便利なれば更に増設の必要ありとの次第は前號に述べたり抑も政府の當局者が取引所の地區を定めたるは現行法に同一の物件を賣買取引する取引所は一地區内一個所に限り其地區は農商務大臣これを定むとある明文に據り第一には人口の多少と又隨て商賣の繁閑とを標凖として决したるものなる可し其標凖は至極適當なりとして扨實際には人口僅に二三萬に過ぎざる市街の地も一地區と認めて設立を許したるもの少なからず是等の小區域に一個所の設立は過ぎたるが如くなれ共左ればとて取引所を二分して其一半を設立せしむるは事實に能はざる所なれば之を一地區と見做して許したることならん實際に差支なしと雖も然りと雖も其反對に人口の數と云ひ商賣の繁昌と云ひ全國の首位を占めて帝國首府の實に背かざる東京の大都會を右等の市街地と同一視して等しく一地區と認めたるは如何の理由なるや我輩の毫も解せざる所なり例へば政治上の區畫に就て見るも西京は上下の兩區、大阪は東西南北の四區に分つに過ぎざれ共東京は現に市内を十五區に區分せり十五の區畫、漫に多きに誇るが爲めに非ず市内の廣き人事の多き斯くの如くせざれば施政の實際に不便を免れざればなり政治上に於て既に然るときは商賣上にも亦同一の事實を見るは明白の數にして所謂一地區と認めたる其理由の無稽なるを知る可きのみならず又實際に於ても現在一個所の取引所のみにては到底目下繁劇の商賣取引に堪へざるの事實明白なる其證據を云はんに相塲社會の通語にて呑屋と稱する一種の密商あり相塲所の裏面に隱れて竊に取引するものにして今日の實際に於ける取引の大半は此呑屋の私に行はるるの常なり法律一偏より見れば怪しからぬ次第なれども若しも一切の取引をして一一正當の手續を經て取引所の塲面に掛けしむることと爲さんか左なきだに少しく忙はしきときは帳簿の整理、間に合はずとて一時賣買を中止する程の次第なれば况して斯る塲合には全く塲所を閉して賣買を斷るの外に手段なかる可し左れば株の賣買を爲すものは自から不正當の所業とは知りながらも實際の必要上、止むを得ず呑屋の手に托することにして今の取引は寧ろ呑屋の爲めに滑に行はるるものなり法律の目を掠むるに非ざれば實際に商賣を行ふ能はずと云ふ驚入たる次第なりと云ふ可し畢竟かかる奇相の生ずるも取引所を一個所と限りたるの結果に外ならざれば其増設を許すは目下の必要と云はざるを得ず單に商賣の一點より見るときは或は府下の十五區内におのおの一個所を設くるも實際に差支なけれども斯る激變は敢て好ましからざることとして現在の取引所は其儘に置き本郷深川等商賣繁昌の塲所を選み更に二個所を増設して東京市内に都合三個所の取引所を試るが如きは先づ以て適當の所置なる可し而して從來取引所にて收むる賣買の手數料は高きに失するが故に政府は更に法令を發して手數料は何分以上に〓〓可らざるとの制限を定め其制限内に於て勝手に高〓〓〓の自由を與ふるときは各所互に競爭して自から〓〓〓の〓〓を致す可し今日の實際に密商の行はるるは〓〓〓〓手數料の〓きが爲めなれども法律の目を掠めて脱税を謀るは本來何人も好まざる所のみならず實際に取引の便利大に開けて賣買甚だ自由なりとあれば是迄内内呑屋の手に托したる者も白日青天、塲面に於て公然の取引を行ふこととなり各所の商賣は共に繁昌を催ほし現在の取引所は現在の盛况を保つと同時に新設の取引所も同樣の景氣を現はす可し必然の成行にして我輩の慥に保證する所なり且つ又政府の爲めに謀るも抑も取引所に課税するは如何なる趣意に出でたるや知らざれども其趣意は兎も角もとして既に税を課する以上は其税源を厚くして大に取るの方法を案ずるこそ得策なれ今取引所の増設を許すときは株式の賣買はますます繁昌して自から政府の收入を増す其一方に一般の商賣人は非常の便利を得て大に喜ぶのみなりと云ふ一擧兩得の計にこそあれば我輩は當局者が地區云云の見解を一變するか然らざれば法律の根底より改正を謀りて東京府下に取引所の増設を自由ならしめんことを敢て勸告するものなり