「・自から國力を知る可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・自から國力を知る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・自から國力を知る可し

日本の國力は多々ますます辨ず可し政府の歳入の如き今に倍するも更らに差支えなきは我輩の慥に保證する所なれども軍備擴張の爲めに僅々二三千萬圓の增額さへも歳は不相應の負擔には非ずやなど掛念するもの少なからずして政府の當局者も增税の計畫に就ては苦心一方ならずと云ふ無益の心配なりと云ふ可し凡そ政治家を吹て自から任ずるものは其局に當ると然らざるとに論なく常に國力の進歩に注意し其進歩の度を目的として百般の計畫を立てざる可らず今日の日本は十數年前の日本に非ず眼前に明白なる事實にも拘はらず政治上の計畫議論は相變らず消極を主として大に擴張の勇を免ず區々たる增税尚ほ且つ國力不相應などの論を生じて許諾の色あるが如きは自から自國の力を知らざるものと云ふ可きのみ蓋し政府の當局者又は國會議員などの所見にては恰も先入主を爲し單に數年前の日本を心に畫くのみにして今日の發達進歩の有樣は眼に映ぜざるものゝ如し明治十四五年の頃彼五代友厚氏が十五萬圓の資本を以て一の會社を大阪に起したることありしに當時或る一部の人々は流石は五代の手際なりとて非常に賞贊したりしも今日に於ては何十萬圓何百萬圓の會社は敢て珍らしからず一人の力を以て十五萬圓の會社を起したりとて何人も驚くものはなかる可し又海軍擴張の如き政府部内にも其議論盛にして自から種々の擴張案も出でたれども經費の一點に至り到底國力の堪ふる所に非ずとて折角の計畫も毎度水泡に歸し明治十九年に至り始めて千七百萬圓餘の公債を發行して目的を實行したる其結果は現在の海軍の一部分を造り得たるに過ぎずとは驚き入りたる次第ならずや又國會開設の義明治二十五年の議會に政府より提出したる鐵道〓〓法並に私設鐵道買收法の二案を議會にて折衷を調へ鐵道敷設法を改め議決の上、發布したるものを見るに所謂第一期の鐵道工事は向ふ十二年閒を期して其費用六千萬圓は同じく十二個年閒に漸次に募集することゝ定めたり既に國中に鐵道完成の必要を認めながら第一期に屬する僅々の工事に十二年閒の猶豫を置きたるは如何なる次第なりやと云ふに立案者の考に據れば六千萬圓の金を一時に集めて一時に費すときは日本の經濟に大波瀾を起すの恐れありとの理由に外ならず然るに今日の有樣は如何、右の敷設法規定の外に私設鐵道の計畫續々跡を接して甚だ盛んなるに非ずや以上の事情を見るときは國力の程度に關する其人々の知識の程は大抵想像するに足る可きが如し抑も日本の國力近年來大に發達したりと云ふも其發達は二三年の閒に遽に膨張したるに非ず自から素養の深きに由ることなれば數年前の日本決して貧國ならず軍艦製造鐵道敷設の費用の如き必ずしも辨じ難きに非ず只當時に於ては貨幣の集散便利ならずして金融の圓滑を欠き一方には非常に餘裕を告ぐる處あれば一方には大に〓〓を感ずる處あり都會の土地と田舍の〓〓とは常に〓〓の掛合を異に〓〓〓〓〓れば實力の〓〓〓〓〓は〓〓巨額の〓を募る〓〓〓〓〓或は困〓〓事業まもりし〓〓〓んと雖も今〓は則ち然らず運輸交通の發達と共に貨幣の集散は自から全國に平均して過不及の嘆なく假令ひ巨額の金を要するの場合にても一發の電信、九州の端より北海道の極邊に通じ國中の日歩に一二厘の異動を呈するのみにして別に影響の跡を認めず事の甚だ容易なるは彼の軍事公債募集の成蹟を見ても知る可し左れば我國力の發達進歩は是等の事實に由るも甚だ明白にして一點の疑を容る可きに非ざれば政治家たるものも時勢の前後に着眼して自から大に賴む可きを悟り、無益の苦勞を止めにして大膽、以て事に當らんこと我輩の敢て希望する所なり