「・南征軍の勞を謝す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・南征軍の勞を謝す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・南征軍の勞を謝す

賊將劉永福は脱走し賊の巣窟たりし臺南は我軍の占領に歸して此に臺灣鎭定の功を奏したるは誠に目出度き次第にして深く將士の勞を謝せざる可らず支那征伐の大戰爭終りし後にして而かも内亂とも云ふ可き戰なりしが故に征臺軍の進退は人の視聽を惹くこと深からざりしと雖も百四十餘日間、各地轉戰の困難辛苦は實に名状す可からざるものありしが如し鼠賊何程の事をか爲さん一擧にして事定まる可しとは我も人も豫想せし所なるに賊は案外頑強にして容易に降伏の色を示さず追へば散じ、散じては又集り或は家に據り或は叢林に潛み出沒自在、巧に地の利を利用して恰も人を嘲弄するが如く我をして奔命に疲れしめたるのみならず普通の人民婦女子までも抵抗を試み詐術を弄し力叶はずと見れば順民と稱して哀を乞ひ我人數少なきときは刀を揮ひ銃を發して山河草木皆敵と爲る我軍の其始末に困却したるも謂れなきに非ず兵民の頑強斯くの如くなるが上に天然の敵亦暴威を逞うし炎天熱地燒くが如くにして進むに路なく飮むに水なし虎列刺、マラリヤ、脚氣等の惡疫は剽悍なる賊兵と力を併せて日に幾百の戰士を斃し近衞師團長北白川宮殿下さへも遂に病に犯され給ひ海上にはムンスーンと云へる定期風吹き荒みて如何にしても賊の巣窟に近くを容さず恰も人爲天然總ての敵を前後左右に引受けたるの姿にして其辛苦の非常なりしは死者の非常なりしに依ても明白にして我軍の花とも稱す可き近衞の如き最初渡臺したる者は既に其半を失ひ全體の病者負傷者死亡者の割合は征淸役に倍したりと云ふ斯る閒に處して少しも屈する色なく屍を踏みては進み進みて遂に賊の巣窟を屠りしは誠に勇ましき至りにして日本武士の本色を顯はしたるものと云ふ可し或は一屬嶋の内亂を鎭定するに精英數萬の兵を以てして殆んど半歳を費したるは少しく不活溌なるやの感を抱く者もあらんかなれども世界三幅對の一とも稱す可きマダカスカルの遠征は昨年より始めて未だ目的を達せずキユーバの内亂も亦未だ鎭定の功を奏せざるに我征臺軍先づ凱歌を奏す事情異なる所もある可しと雖も世界に對して遜色あることなし其本國に凱旋するも近きにあらん國民は盛に歡迎して以て深く其勞を慰せんこと我輩の今より希望する所なり