「・變後の朝鮮」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・變後の朝鮮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・變後の朝鮮

朝鮮の政變は意外の出來事にして世界の耳目を驚かしたり一群の暴徒が夜に乘じて宮中に闖入し王妃は害に遇ひ國王は纔に身を以て免れ政權全く暴徒の手に落ちたりと云へば外國人の考を以てすれば非常の變亂にして國王は幽閉の禍を蒙りて一身の自由を失ひ政府の政令は暴徒の勝手次第無政府同樣にして一國の主權何人の手に存するや知る可らずと思ふも決して無理ならず或は變後の政府は正當のものと認めずなどとの説も此邊の考より出でたることならん我輩とても一時は此變の全く無害ならざるを感じたることなりしかども頃日或朝鮮人(黨派に關係なき學者)よりの報知に據れば王妃の不幸は疑もなき事實なれども國王の一身は安泰にして更に不滿の氣色なきのみか寧ろ政變の結果を喜ばるゝの有樣にして一層政治に精勵せられ諸般の改革も少なからず國中の人心は殊に穩にして毫も變前の有樣に異ならず外國人などは此有樣を見て今は却て反對に驚くの色ありと云ふ假令ひ如何なる事情にもせよ多年の閒夫婦として室を同うしたる王妃が一旦不慮の變に遭ひたるにも拘はらずあたかも其變を企てたる逆賊を咎めずして反對に之を信用して政府の事に當らしめ實際に得色あるが如しと云ふ國王の心事は如何にも不思議にして普通の人情に於て許す可らざるに似たり吾々日本人を始めとして諸外國人の解せざる所なれども朝鮮の國情は自から一種特別にして其特別の事情を悉すに非ざれば個中の消息も容易に解す可らず抑も彼の國の政治界に於て權力消長の局に當る貴族士大夫の中には自から宗臣と戚臣との別あり宗臣とは現在の王朝なる李氏の社稷を重んじ朝鮮をして眞實國王の天下たらしめんとするものにして戚臣は之に反し外戚の權力に依賴して自から威福を張らんと欲するものなり然るに外戚專權は朝鮮國固有の政弊にして二百年來の因習容易に改むるを得ず宗臣輩の苦心計畫も毎度水泡に歸してますます其弊を長ぜしめ現在の閔氏に至りては殆んど其極度に達し外戚に反對したるが爲めに禍に罹りたるものは計ふるに遑あらず王父たる太院君の如き恰も幽囚の姿にして虐待到らざる所なきのみか現に國王の身邊さへも安危の程測られずして日夜心を安んじたることなき程の次第なりと云へば李氏の社稷は實に累卵の有樣にして宗臣等の心に於ては此有樣を如何に堪へ難く思ひたるや想像に餘りある可し此度の變に主名を博して事後の政局に當りし金宏集、金尤植、魚充中、除光範の徒は即ち宗臣の一派にして只管社稷を重んずるものなれば多年の辛苦一擧して外戚の禍を除くの決斷は前後の相違こそあれ正しく金玉均の亂に異ならず建前に敗れて後に成りたるのみ而して全體の禍源は宮中に存すること明白なるが爲めに國母の一身輕からずと雖も社稷の重きには換へ難しとて君王を思ふの一念、萬止むを得ずして斯る非常の手段をも敢てしたることなる可し故に其心事は明白にして朝鮮の國情に於ては一般に其擧動を怪しむものなきは勿論、實際は國王自身と雖も妃を失ひたる悲は別として寧ろ不測の危險を脱して大に安心せられたるの情もあることならん前報に國王は更に不滿の氣色なきのみか却て事變の結果を喜ばるゝの有樣なりと云ふも畢竟斯る事情の在るが爲めならのみ左れば外國人が彼の政變に驚きたるに引換へ變後の有樣を見て更に大に驚きたりと云ふも無理ならぬ次第にして事の眞相を觀察するには先づ朝鮮平素の國情を知悉するの肝要なるを知る可し我輩も朝鮮人の報知に接して始めて釋然會心したる者なり