「・責任論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・責任論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・責任論

今度の朝鮮事件に付き三浦公使の擧動機宜を失したるは公使を推薦したる政府當局者の過失に外ならず甚だ相濟まざる次第なれば過失者は是非とも其責に任ぜざる可らずとて在野民黨の人々は當路の大臣等を訪問して之を論ずるなど昨今頻に運動中なりと云ふ干渉事件以來朝鮮の關係は頗る微妙の態を呈して之に處するに大に手心を要す可きは世人の明に認めたる所なり京城駐在の公使の如き最も人選を謹む可き筈なるに然るに何人の見る所にても斯る當局には決して適任と認むること能はざる人物を派遣して遂に彼の如き失策を演ずるに至りし其過は自から掩ふ可からず甚だ遺憾に堪へざる所なれども民黨の人々が其責任を直に當局者に歸して恰も辭職勸告の擧動に出づるとは如何の目的なるや我輩の解せざる所なり或は前年大津事件の時にも内務外務の兩大臣は過を引て辭職したり今回の事件は其關係する所、特に重大なればいよいよ以て責任を明にせざる可らずとの説もあれども當年の辭職は自から過を引きたるものにして他の勸告を待て退きたるに非ず今回とても同樣にして好しや二三の當局者が自から退くことありとするも退くものあれば又出づるものあり其進退は自から部内に行はれ之が爲めに政府の全體は毫も動かずして單に儀式一偏の進退を見るに過ぎざる可し勸告者は尚ほ之に滿足せんとするものなるや否や況んや今日は自から時勢を異にして其引退も實際覺束なきに於てをや我輩は勸告運動の徒勞に歸せんことを恐るゝものなり抑も政府責任の論は議院の勢力、政府と匹敵するの時に至りて始めて其效を見る可きものなり當局者の失策いよいよ掩ふ可らずして議院の反對を蒙り自から地位を支ふること能はざるの有樣に陷るか或は然らざるも反對の政客が其失策を好機會に取て代はるの政略に出で論難攻撃政府の人望をしてますます減ぜしめ自から議院の多數を制して當局者をして止むを得ず退かざるを得ざるの場合に至らしむる程の勢力もあらんには責任論も甚だ妙にして實際に行はる可しと雖も日本今日の政界は如何と云ふに遺憾ながら議院の勢力は尚ほ微々たるものにして未だ政府の全體を動かすに足らず責任論の如き毎度議會に立往生して兒戯一般の觀を呈したるは從來の事實に於て既に然る尚ほ其上に昨今の形勢、一般の國民は恰も隱憂大患を背に負ふの姿にして在外の公使が出先にて失策を演じたる其過の自から歸する所あるは明白なるも眼前の小事として大に之を咎めず只管全國の一致を祈るのみなる此場合に當り假令ひ國會の議場に責任論を論ずるも耳を傾くるものは少なかる可し況して辭職勸告などの擧動は感服せざる所にして折角の運動も徒勞に歸せざるを得ず徒勞功なきは尚ほ可なれども當局者には自己の進退に局外の勸告は入らざるお世話なりと刎付られ一般の世間には目下の時節柄〓無益の擧動なりとて下げすまれ單に自家の信用面目を損するの結果に終るのみならずやと其人々の爲めに竊に掛念する所なり然らば則ち如何せば可ならんや我輩自から説あり試に之を述べんに畢竟責任論などの生ずるは今の當局者が其同輩の元老を外にして内に容れず恰も自から政局を專にして獨り己れに厚きの姿を成し兔角國中の一致を欠くが故に功過共に非難を免れざるが爲めに外ならず其原因は自から明白なれば此際民閒の政客が勸告の趣向を換へ當局者に向て當今の時節は相互に反目の場合に非ず政府が在野の元老を内に入れて事を共にし共々に責任を引受けて一致の實を表するときは吾々も外に在て政府の政略に賛成す可しと誠心實意を以て懇談に及びたらば當局者も近來の情態竊に心細きを覺えて從來の感情も頗る緩らぎたる折柄、事の實行案外に容易なる可し元老の一致は何人も希望する所にして其人々の盡力に由て實を見たりとあれば其盡力は一般に認められて世間の信用も自から增さゞるを得ず無益に奔走して徒勞に終らんよりは多少にても實功を奏して信用を博するは自家の勢力を養成する所以にして寧ろ責任論の實に近づくの捷徑なる可し我輩の敢て勸告する所なり