「・鐵道役員の撰定に注意すべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・鐵道役員の撰定に注意すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・鐵道役員の撰定に注意すべし

我國の鐵道事業は進歩甚だ遲々として見るに足らず中にも其營業方法の如き如何にも不都合千萬にして天下公衆の利益を土芥視するものなりとは兼てより時事新報の痛論する所なりしが近來は世間にも同感の人少なからずして漸く改革論の流行を見んとするに至りしは國家の爲めに無上の慶事にして我輩の深く滿足する所なり扨て今日我國官私鐵道の營業を委しく取調べて一々改革を要する箇條を求めたらば殆んど際限なからんなれども中に就て最も火急に實行す可き所のものは即ち事務官を淘汰して新に有爲の人物を採用するの一事に外ならざる可し凡そ何事に限らず世の中に事業を營まんとするに當り執務者の撰定に注意して適當の人物を使用するの必要は今更ら云ふまでもなきことながら殊に鐵道の如き繁雜活發なる事業に於ては營業當局者の技倆如何に由て忽ち收益上に容易ならざる影響を及ぼすことなれば其人物撰定には注意の上にも注意を加へて如何にも之を重んず可き筈なるに然るに從前の慣行に據れば鐵道の役員を撰ぶに當り其人の學識才能、既往の經驗等を吟味するが如きは極めて稀にして大概の場合には株主中の折合若しくは官邊の縁故など謂れもなき事柄を理由として適不適を定るの常なれば方今我國諸鐵道の營業に從事して監督の任に當る人々を視渡すに其多數は平々凡々曾て文明學理の敎育に浴したることもなき素町人か然らざれば商工の思想實驗皆無とも稱す可き政客の餘流、官界の落武者に過ぎず多年の苦學漸く成りて物理經濟の實際に通じて鐵道事業の何物たるを解して能く其激務に堪ゆる者は實に寥々たる少數なるが如し或は偶ま敏腕を以て稱せらるゝ人物あるも其人々は決して一社の仕事に滿足せず種々樣々の別事業に關係して自から餘計の報酬を利せんとし甚だしきは一人にして數會社の監督を引受け一週閒に一兩度づゝ各社の門を伺ひ巡回監督を以て責任を盡したりと信ずる者さへなきに非ず斯る輩の營業の事務を一任して平氣なる株主の心中こそ笑止の至なれども畢竟するに此不思議なる現象の源を糺せば即ち今日の鐵道が專有と名くる大恩惠に浴して其營業方法の如何に拘はらず收益の豐なるが爲めにこそあれば明日にもあれ政府が從來の御世話主義を止めにして諸線の敷設を自由にし官私の別なく一般に競爭の新空氣を注入することもあらんには全國幾多の鐵道は忽ち周章狼狽して其營業の仕組を改革するの必要を發見するに相違ある可らず鐵道の最も發達せる米國などにては私設會社の支配人にして毎年の報酬三四萬弗に上る者敢て珍しからねども何分にも日常職務の非常に繁劇なるよりして大概の人は四五年間在職すれば心身疲勞して任に堪へざるに至り已むを得ず辭職するの常なりと云ふ我國の鐵道會社も徒に些細の俸給を愛み眠れるが如く死せるが如き懶惰無能の人物に重大なる事務を委託するよりも寧ろ米國の例に倣ひ大に錢を費して大に人物を買集め其才能經驗を利用して營業方法の改革を行ひ專ら公

衆の便利を謀て以て世人をして鐵道の眞價を知らしむる方、遙に自家の爲めに利益なる可しと我輩の敢て勸告する所なり