「外交と新聞紙」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「外交と新聞紙」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外交と新聞紙

新聞紙が内外の政治に就て議論を上下するは勝手なりと雖も外交の事は性質極めて鋭敏なるものなれば殊に注意を要する所にして内治に關しては其所論假令ひ當を得ずとも影響する所は内々の事に止まるを以て甚だしき差支えなけれども外交問題に至りては趣を異にし新聞紙が無用の激論を費やし又は虚報を傳へたるが爲め外國人の感情を損ひ當局者に迷惑を及ぼすことなきを保せず呉れ呉れも愼しむ可き所のものなり北米合衆國は地勢遠く歐洲と離れて強國と境を接せざるが故に自然國際上に紛耘の起る可き機會少く恰も局外に超然たる有樣なりしが近來彼國の政客中には之を堪へ難く思ひ自から進んで外交の波瀾に投ず可しと主張する一派現はれ同時に此派に屬する新聞紙は苟も國際問題とあれば針小を棒大に記して漫に人心を攪〓せしむるのみか甚だしきは彼我の閒に些細の行違にてもあれば直に戰端にても開かるゝかの如く云囃し先方の國をして不快の念を抱かしめ不都合を釀すの事例も少なからざるよしにて識者の常に嘆息する所なりと云ふ事柄は異なれども既に我國に於ても淸國との戰爭中、我艦隊の夜に乘じて威海衞を襲ひ一擧して攻略せんとせしを英國艦隊の妨害に逢ひし爲め目的を遂ぐるを得ず空しく引返へしたりなど如何なる邊より出しものか全く跡形もなき風説起り新聞にまで之を記載せしかば淺慮の輩は能くも實否を詮索せずして早呑込に右の風説を妄信し英國こそは正しく支那を助けて我に仇するものなりと非常に憤慨せしこと今尚ほ人々の記臆する所ならん凡そ新聞紙の勢力は人事の繁多と共にますます增進し多數の人民は内治外交何れに就ても紙面の所記を見て眞實なりと信ずるが故に若し丁寧に事の本末も糺さずして早計なる推察を下し無根の事を記し無稽の論を吐かんか一般の人心は忽ちこれに激せらる可きのみならず外國人が我國民の意志を知らんとするにも亦重に新聞に依賴するの常にして之ぞ紛れもなく國民一般の精神なる可しと推量し漸く我を厭ふて終には國交際に意外の障碍を及ぼさずとも云ひ難し支那との戰爭以來日本の名聲は頓に世界に轟き歐米諸國悉く新強國として畏敬し我一擧一動は都て彼の注目する焦點となりたるを以て從って今後外國との關係ますます複雜を加ふるに相違なければ此際新聞紙の記事論説の如きは注意して輕忽の筆法を愼まんこと我輩の切に希望する所なり