「自衞の必要」
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時事新報に掲載された「自衞の必要」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
一國の軍備は自營の爲めなり自衞とは何ぞ外に對して自國を衞るの謂なり今の世界の立國は甚だ易からず平常無事の日に於ては外交の局面甚だ穩にして毫も波瀾を認めず和氣洋々として四海皆友の觀あれども一朝事の行違ひより破裂を生じて風雲の變を見るときは昨日の朋友は今日の讎敵にして或は四海皆敵の情態を現出するやも圖る可らず國交際の常にして怪しむに足らず即ち國に自衞の必要ある所以にして世界各國共に軍備に汲々たるは之が爲めのみ或は現に與國との交際親密にして毫も釁隙の認む可きものなきに之に備ふるの用意は甚だ不に似たれども事實の實際は何如ともす可らず例へば何れの國に於ても他の締約國の貴賓來遊の折などには殊に海陸の觀兵式を行ふて其覽に供することあり歡迎の意に出づるものなれども若しも其兵備は何の爲めの用意なるやと問はれたらんには實は貴國を始め同盟國に對するが爲めなりと答ふるの外なかる可し來客をもてなすに白刃を眼前に示すと同樣にして甚だ奇なるが如くなれども萬國一樣の例にして以て今の國交際の眞相何如を窺ふに足る可し左れば今回我國に於て軍備擴張の計畫ありと云ふ其計畫は世界に普通の事を行ふものにして別に特殊の目的あるに非ず一方より見れば萬國皆友なれども又一方より見れば萬國皆敵なる今の世界に處して自から國を衞るには兵備の外に手段ある可らず衆人悉く平服の中に獨り刀劍を帶するときは他人に怪しまるゝこともあらんなれども帶刀の軍中に一人の脱刀は甚だ無用心なり軍備擴張は普通の例に倣ふものにして毫も怪しむ可きに非ざれば世界の表面に其計畫を發表し正々堂々事に着手して憚る所はある可らず自から事の實を行ひながら他の計畫を聞て之を疑ふものなきは我輩の慥に保證する所なり而して我國にて軍備の擴張は日C戰爭の經驗に就て其必要を感じたるに相違なけれども尚ほ他に擴張の理由ありと云ふは外ならず一國の軍備は自から衞るが爲めなりと云ふ衞るとは即ち國内の富實を衞るものにして其富實の量何如に據りて計畫にも自から差違なきを得ず
喩へば一物の蓄もなき素寒貧の家ならんには甚だ安心にして三間の茅屋、夜靜にして主人の懶眠を妨げずと雖も富豪大家の家に於ては自から門戸を嚴重にし土藏を堅固にして番人を置の必要あるが如し日本は從來とても決して貧國ならず大に衞るの必要は認めざりしに非ずと雖も何を云ふにも百事草創の際にして差當り經營を要したるの事物少なからず軍備の如き事の急と知りながらも充分に行屆かずして不如意勝に經過したることなれども近年來國力の發達は非常のものにして富實の攝Bと共に國の會計にも餘裕を告げて始めて年來の不如意を償ふの機會到來せり即ち今度の計畫は國内の富實を衞るに相當の軍備を備へんとするものにして其趣は金滿家が其身代を護るが爲めに土藏を構へ番人を置くに異ならず今の日本の身代に比較して現在の軍備の不相當なるは敵に於て明白なれば其擴張は至當の處置として何人も認むる所なる可し是れに由て之を見れば日本の軍備擴張は今の世界に普通の事を行ふものにして外に對しても毫も憚る所なきのみか内に於ては國の富實を護るが爲め國力相當の經營にして事の必要に出でたるものなれば何れの點よりするも至當の處置にして怪しむに足る可らず我輩は當局者が大膽以て事に當り充分に擴張の目的を達せんこと敢て希望に堪へざるなり