「・償金の始末」
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時事新報に掲載された「・償金の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・償金の始末
淸國政府より既に八千萬兩の償金を受取りたるに付ては何れ政府は今度の議會に謀りて夫れ夫れ其用途を定むることならんが差當り我輩の注文したきは漫に此金を内國に入れて經濟を亂るなからんことの一事なり論者の中には之を以て公債を償却し一層金融を滑にして商賣工業の發達を促す可しと云ふものもなきに非ざれども是れは大なる心得違ひなる可し目下金融は頗る緩慢にして物價は頻りに騰貴し金利甚だ安くして公債の如きも五分利付百圓のものが百三圓以上の市價を保ち事業は續々勃興して實業界甚だ賑かなるは即ち資本の豐なるを證するものなり然るに今若し不時の大金を輸入して一層資本を膨張せしめんか既に醉ふたる酒客に酒を強ふると同樣にして終に倒るゝの外ある可らず物價の騰貴は中人以下の生活を苦しむると共に外品輸入の道を易くし例へば近年漸く頭を擡げてマンチエスター及び印度の紡績絲と競爭を始め前途の望乏しからざる我綿絲も輸入品に壓せられて販路を失ひ諸般の工業も自ら衰頽して折角繁昌せしめんが爲めに輸入したる其資金は偶々以て繁昌を妨ぐるの結果を生ず可し左れば此償金の用法を如何せんと云ふに今や海軍の擴張は焦眉の急にして軍艦の注文、大砲彈藥等の買入れに莫大の金を要するのみか其筋に於ては急に北海道の植民鐵道中仙道鐵道の敷設及び東海道鐵道の複線工事に着手し且つ全國に電話を架設するの大計畫もある由なればレール機關車等買入れの爲め外國に支拂ふ可き金も少なからざる高に上ることならん償金は先づ是等の費用に充つるこそ至當なる可し又日本銀行より借入金の如きも金融に影響せざる限りは償金の内より返濟して然る可きことならん最近の兌換券週報に據れば政府證券即ち政府の借入金は四千四百六十萬圓なれども内二千二百萬圓は政府紙幣償却の爲め嘗て無利子にて借入れたるものなれば是れは別として殘り二千二百六十萬圓は今度の戰爭に付て借入れたるものなり即ち差當り返濟す可きものにして此高を償却するに償金の硬貨を以てすれば日本銀行は之を引當にして兌換券を發行する代りに政府證券は夫れ丈け減ずるが故に差引き一圓の增減もなくして金融市場は何等の影響をも與ふることなかる可し又彼の軍事費に流用したる特別會計の基金三千餘萬圓の如きも若し軍事公債を募て補充すること不可なりとすれば間接に償金を以て償却するの工夫もなきに非ず前に述べたるが如くいよいよ其筋に於て鐵道電話の大工事を起すに至らば公債を募集するの必要を感ず者は勿論にして其内國外國に支拂ふ可き金額は頗る多かる可し〓外國に支拂ふ可きものは償金の内より支出して内に募りし公債を以て特別會計の基金を補充する等の方針を執らば經濟紊亂の禍を免かるゝことある可し今や金融緩慢物價騰貴の際に當り天下の憂に先んじて憂るは財政當局者の責任なる可し