「政治は無試驗にして免許を與ふべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政治は無試驗にして免許を與ふべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政治は無試驗にして免許を與ふべし

佛蘭西のルーソーは有名なる十八世紀の思想家にして又文學者なりしが此人の素志思想家

文學者として世に立んとには非ず或時佛國に懸賞問題として非文明論なる論文を募るもの

あり當時名もなき一個の代言人たりしルーソーは試に筆を執て一篇を草したるが固より未

熟の事とて其論文が幾多の競爭者を凌で懸賞に當らん抔とは自から期せざりしなり然るに

何ぞ圖らん未熟と思ひし其論文は第一等の出來にて札はルーソーに落ちたり他人は勿論ル

ーソー自からも其成功に驚き其れより代言を廢業して學者となり遂に彼の有名なる民約論

も世に出でて佛蘭西大革命の導火となりたりと云ふ以上はルーソ―傳中の一小話に過ぎざ

れども人の力量は自から知らずして過ごすこと有りとの一證として見るべし

夫れ一個人にして此の如しとせば一國民も亦然らざるを得ず我邦三十年前世界の大勢に動

かされて封建の舊夢を破り咄嗟の間に維新の大業を成就し之れより文明の制に則り富強の

實を計り鋭意熱心して他事なかりしが偖我實力果して如何の一問題に至りては未だ之を慥

かむるに由なく當局者と雖も確たる目算は立たざりしなり試に普佛戰爭の當時を回想せよ

我は局外中立を布告せしとは云ふものゝ當時の實際に日本の國力を以て果して能く中立の

主意を貫く可きや否やに至りては甚だ覺束なく先づ以て儀式上の局外中立とも評す可き姿

にして外國人に於ても敢て之を意に介せず亞細亞の極東一小嶋國の向背固より齒牙に留る

に足らずとして看過せられたるは外人が日本を知らざるのみに非ず主人たる日本人にして

自から自國の強弱能不能を知らざりしものなり幸にして普佛の戰爭は東洋に波及せず我日

本國に些少の動搖なくして無事に収まり爾來も我國には是れぞと云へる外難は一回も起ら

ずして隨て國の實力如何を試るの機會なく唯維新當初の方針を守り文明富強の一義を目的

として十年も二十年も餘念なく進み來りし其有樣は小兒が學校に入て課業を學び多年怠り

なく得るところ既に多しと雖も未だ甞て試驗を受けざるが爲めに何程の學力あるやは小兒

も他人も識らざるが如くなりし

然るに爰に一大試驗の時節到來は日清の戰爭是れなり試驗の前に氣遣ふは人情の常にして

殊に初陣の事なれば萬一失敗の掛念も免れざりしに偖實際に臨んでは其成績此くの如く立

派にして傍觀者は更らなり受驗者自らの仰天は彼の懸賞問題に合格せしルーソーが自己の

天才に意外の思を爲せしに異ならず今や我日本國の武備は宇内の強國に對して毫も恥る所

なきを明にして始めて自から之を知り世界も亦これを許すに至りしは偶然に催ほしたる國

力試驗の賜と云ふ可きのみ

偖國家を人體に喩へて武備を足に比せば政治は恰も手の如し而して人體の生長するや手足

共に同樣の比例を〓〓〓〓るとせば國家の生長も亦武備政治相伴ふて進歩〓〓〓論を待た

ず然るに今や我邦の武備は試驗に遭〓〓十分の成績を顯はしたりと雖も政治は多年修學一

〓のみなれば國民政治上の手腕は今日尚ほ疑はれつゝあり責任内閣尚早し藩閥政治全廢す

べからずとの妄想を免る能はざるの有樣なり然れども疑は最早無用なり斷然切つて放つ可

し既に股引の寸法を得たる上は襦袢の袖は之に準じて聊か間違ある可らず人の手足の釣合

眞實無妄なればなり故に文明流の戰爭に及第せし國へは無試驗にて文明流の立憲政治を免

許す可し純然たる英政に則りて責任内閣の實を施すに毫も疑ふ所ある可らざるなり

斯く云へばとて我輩は今月今日内閣全體を直に今の民黨に明渡すべしと勸むるには非ず唯

藩閥の宿酔を醒せと謂ふなり手近く言へば毛利大膳大夫家來伊藤博文、山縣有朋若くは嶋

津修理大夫家來松方正義、西郷從道たらずして日本帝國の伊藤、松方、山縣、西郷たれと

の意に外ならず國民の力量既に分り切たる今日政府諸老の腦裡より藩閥の一念を撤回せん

こと恰も遼東半嶋還附の談判結了せし今日我守備兵を清國領地より撤回せんが如くならん

を我輩は切望するものなり