「税源甚だ豐なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「税源甚だ豐なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

税源甚だ豐なり

今の日本の國力に於ては歳入增加の如き多々ますます辨ずるに難からず數の明白に示す所

なれば政府の當局者たるものは大膽、事に當りて大に國務の擴張を謀る可し毫も遠慮に及

ばざることなり或は政治家の中には今尚ほ先入の主想を脱すること能はずして事を處する

に小膽なるもの少なからざる如くなれども少しく現在の事實を省みたらば釋然解悟する所

ある可し差當り國力發達の例を云はんに數年前に於ける我國統計の數を見れば億の字を用

ふることは殆んど絶無にして貿易の總額は幾千萬圓歳入歳出の額も同じく千萬臺の數にし

て以上の數字を見ざりしに近來に至りては貿易は二億以上に達し歳入の實數も一億に上り

諸會社の株金も幾億を算する等日常の實際に億の數を用ふるは普通の事なり統計の數字に

して果して事實に相違なきに於ては國力の實際は非常の發達を知るに足る可し僅々數年の

間にして斯くの如しとあれば今後の進歩尚ほ圖る可らず駸々進んで止まざる國勢の中に顧

みて國事の施設如何を見れば計畫の規模甚だ小にして從來の時勢に於てさへ國力に比較し

て消極に失するの實を免れざりしに然るに現に事の急を告ぐるの今日に至り尚ほ左視右顧

の態を呈して大に擴張の勇斷なしとは自家の知見、國力の實際を解せずして獨り自から杞

憂を憂るものには非ざるか政府現在の歳入は僅々の額に過ぎず其内にて遣繰算談を思へば

こそ苦しきことならんなれども國民の富力は綽々餘裕を存して多々ますます辨ず可し國家

事業は國民全體の爲にするものなり自家の爲め餘裕の幾分を割くに異議はある可らず須ら

く歳入を增加して大に着手す可きものなり或は軍備の擴張に就ては伊太利の例など云々し

て警戒がましき説もなきに非ざれども伊國の如きは所謂歐洲の三國同盟に加入し漫に軍備

の一點に力を注ぎたる爲めに彼の如き結果を招きたるものなり今の日本の國力を伊太利と

比較して如何と云ふに我輩の所見を以てすれば寧ろ彼に優るも决して劣らざる可しと信ず

る其國抦にてありながら軍艦の噸數に於ては彼の三分の一に足らず陸軍の兵數の如き殆ん

ど比較の限りに非ざる程の次第なれば今國力相應の擴張を企てたりとて其覆轍を踏むの掛

念は萬々ある可らず敢て安心を祈る所なり况んや航海、鐵道、築藩等の如き其他の事業に

至りては何れも國力の增進を助くるものにして恰も資本を投じて利益を謀るに異ならず一

般に希望する所なれば遠慮なく實行す可きものなり或は歳入の增加差支なしとするも實際

に增税の手段を如何す可しと云はんか既に國力充實の實ある以上は之を取るの手段は甚だ

容易なり酒に取る可なり田畑に取る可なり會社に取る可なり取る可きの税源は决して乏し

からず又これを取るに難からずと雖も凡そ租税は如何なるものに取るも其結果は詰り國民

一般の負擔に歸して特に一種の人民を苦しむるものに非ざれば収税に最も便利なる税源を

選んで之に取ること智者の事なる可し此點より見れば酒税の如きは最も適當の税源にして

地租の如きも亦不可なりとせず無きものを取らんとするは難けれども有るものを取るは甚

だ易し現在の國力に於ては敢て負擔に苦しまざるのみか綽々餘裕を存して税源の豐なるは

我輩の斷じて保證する所なり