「土耳古に交る可し」
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時事新報に掲載された「土耳古に交る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
土耳古に交る可し
内には暴徒虐殺を恣にし外よりは諸強國、改革を迫りて風雲穩ならざるは土耳古の現状に
して如何なる奇變を生ずるやも知る可らず假令ひ今度の紛擾は幸ひ無事に治ることあるも
其内政は恰も朝鮮に等しく腐敗の頂上に達して自から國事を始末する能はず諸強國は爪牙
を磨して機會を外に待ちつゝあることなれば何時再發するやも計られず數千里外垂死國の
存亡、我れに何等の痛痒をも與へざるが如くなれ共風波彼所に劇しければ東洋の天地は自
から靜穩にして譬へば天秤の一端に重を增せば他の一端は輕く擧るが如し對岸の火災視す
可らざるのみか諸外國の此方面に對する外交及び其外交の中心に國を立る土耳古自身の政
略共に觀る可き者多かる可し盖し土耳古は歐亞の咽喉にして露西亞は君士坦丁堡に出ざれ
ば畢竟嚢中の鼠にして威を中原に振ふ能はず英國は此地にして一たび他國の有とならば印
度の寶庫を守り難く墺、獨、佛、以の諸國も亦皆此の國の存亡に依て立國の安危を感ずる
ものなれば土耳古問題と云へば各國共に耳を欹て眼を張り寸分も油斷せざる所にして何か
事あれば各々秘術を盡して相爭ふ其外交の裡面に入て深く研究すれば思ふに得る所少から
ざる可し事の源は或は聖彼得堡より出で或は倫敦より發し或は維納、巴里より起ることな
らんと雖も各種の政略の混合する所は土耳其にして其朝廷は恰も外交術の展覧會とも云ふ
可き有樣を呈することならんなれば奇變百出、忽ちにして雲を起し雨となり霰となり雪と
なるの壯觀を見るは土耳其の舞臺に若くはなかる可し將た又列國爭奪の中心に立て國を維
持せんとするものは自から縱橫の策なかる可らず右に結びて左を抑へ前に操て後に縦ち
虚々實々巧に勢を制すること恰も熟練なる航海者が暴風怒濤を制して舟を行るが如くなる
に非ざれば國を保ち難し土廷の外交も亦觀る可きものあらん歟左れば其政况を視察するは
頗る肝要にして〓〓〓多きことなれば人を派して其實情を研究せしめんこと我〓の望む所
なり或は更に一歩を進めて土廷と條約を結び交際を開くも妙なる可し〓〓たりと雖も彼國
は百六十萬方哩の領土と三千九百萬の人口を包有して貿易の高も少からず最近の調査に據
れば輸出入の總額は三十六億二千百三十九萬ビヤストルなれば之と交を結び商賣を營むも
望なきに非ざる可し獨り東亞の朝鮮に汲々するのみにして東歐の朝鮮を度外に置くは大な
る怠慢と云ふ可し