「護國心の消長」
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時事新報に掲載された「護國心の消長」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
護國心の消長
日本國民が護國の精神に富むとの次第は前號の紙上に大概を記したり是れぞ即ち國家萬里
の長城にして永く失はざらんことを望むは何人も同樣なれども扨これを維持し養成するの
一段に至ては自から所見の異同なき能はず成る可く外國の事物を斥け自國のものを保守す
るに非ざれば民心を固くすること難しと云ふものは保守論者にして盛に異邦の文物を輸入
し親しく外人に交はるこそ却て此精神を養成する所以なる可しと説く者は開明論者なり或
る意味に於ては保守主義以て之を維持することを得べし國民をして日本は神國にして外人
は夷狄なり我の事物は皆尊くして彼の文物は、悉く賤む可きものなりと思ひ込ましめなば
自國を重んじ他を排斥するの心は自から生じて此に一種の護國心を見ることなる可しと雖
も其護國心なるものは頑冥より生じたる迷にして寧ろ攘夷心と稱する方適當なる可し攘夷
の精神も國家有事の日には必ずしも用ふる所なきに非ざれども自から知り又他を知るの明
を蔽ひ只管外國の物を忌み外人を嫌ふが故に國は遂に世界の外に孤立するの外なし其進歩
を妨げ發達を害すること擧て數ふ可らず即ち我輩の平生保守論を喜ばざる所以にして眞成
の愛國心を養ふには國を打開て廣く外國の物を容れ親しく外國の人に接して自他の差別を
明にするの外に手段ある可らず磊々落々、心を空して世界の物に接すれば自他の差別は自
ら明にして自他の差別明なれば獨立の心は此に生ず可し獨立の心、生ずれば自から重んず
ると共に他をも重んずるの心を生じて秋毫も犯さゞる代りに亦秋毫も犯さるゝを容さず親
めども狎れず優しけれども骨あり是れ文明國民の本色にして愛國心の發源なり左ればこそ
文明の國民は外國の事物を嫌忌することなく自由自在に出入せしむると同時に其脊骨は甚
だ固くして容易に屈せず苟も自國の面目利益に關することは死を以て爭ふに反して孤立頑
冥の國民は平生の尊大倨傲にも似ず案外脆く屈服する次第にして我日本の如きも鎖國孤立
の時代には自尊排外の精神は或は盛なりしならんと雖も眞成愛國の精神は維新以後に發達
したるものと云はざるを得ず前日の紙上に述べたるが如く今回の戰爭に付ては婦女子まで
も國の憂を以て身の憂と爲し盛に愛國の衷情を示したれども若しも此戰爭が德川の時代に
起りしならんには一部の人士は心配もしたるならんと雖も一般の國民は殆んど對岸の火災
視して恰も今の支那人民の如くなりしことなる可し米艦の渡來、下の關の砲撃、鹿兒嶋灣
の戰爭、當局有志の輩は深く憂へたるに相違なしと雖も町人百姓は平氣にして慷慨悲憤す
るものなかりしは實際の事實にして故老の記憶する所なり爾來王政の維新、憲法政治の實
行、國民各自國家を負擔するの心を生じて漸く自國他國の區別を明にし彼我の事情を審に
して此に始めて眞成なる御國の精神を發達せしめたるものと云はざるを得ず左れば保守論
者が開國と共に次第に發達する愛國心を以て民情の次第に衰頽するものと爲し之を〓〓〓
〓の罪に歸して只管外物を忌み舊習に戀々たるは〓〓の局部に眼を奪はれ永遠の利害を忘
れたるものにして我輩の氣の毒に思ふ所なり