「英米の紛議」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「英米の紛議」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英米の紛議

昨年より持越したる外交上の大問題はアルメニヤ事件と英米の紛議なり共に爭の最中にし

て前者に就ては既に所見を記したることもあれば今聊か後者に關して述ぶる所あらんに抑

も此紛議は南米ヴエ子ズヰーラ共和國と英國との間に生じたる所領の爭より起りしものに

して該共和國の前面に橫はるトリニダツト嶋を英國は英の所領なりと云ひヴエ子ズヰーラ

は自國の所屬なりと主張して互に相讓らざる其上に更らに英領ギニアとヴエ子ズヰーラの

國境に關して紛議を生じたれば合衆國は横合より喙を容れて事の仲裁を己れに委任せんこ

とを求め英國は曲直の存する所明白なれば他人の容喙を納れずと拒絶して共和國と英國と

の爭は變じて英國と合衆國との爭と爲りしものなり合衆國は何故に縁もなき他國の爭に干

渉して喧嘩を買はんとするか兼てより平和を主として干戈の爭を避け只商賣の繁昌を是れ

祈る合衆國が恰も武國の風を學んで他人の喧嘩を買ふとは如何にも解し難き擧動なれども

熟々新世界を見直すに置き南北兩米洲中國らしき國は獨り合衆國あるのみにして他は皆な

貧弱の小邦なれば合衆國にして若しも危急の塲合に之を庇護するの政略を執ることなくん

ば世界の強國は次第に侵略して合衆國の勢力は政治上に於ても又商賣上に於ても伸ぶるこ

と能はざるは明なれば自然の勢として暗に新世界の盟主を以て自から任じ他の諸小邦も亦

之を盟主と仰ぎて事ある塲合には之に依賴するの風を成したることなり即ち米國の政治界

にモンロー主義など稱して米洲は尺寸の土も他國の侵略を許さず南北を通じて一大聯邦を

造らざる可らずとの議論もある所以にして甞てニカラグワと英國の間に紛議を生じたると

きにもニカラグワは猫額大の小邦にてありながら手強く英國に抗議すると同時に仲裁を合

衆國に依頼し合衆國も進んで其間に容喙したるが如き自から盟主と幕下との關係を窺ひ見

るに足る可し左れば今度の事とても亦同様にしてヴエ子ズヰーラは人口僅に二百三十萬陸

軍は七千二百八十人に過ぎず海軍に至ては殆んど皆無にして一隻の甲鐵艦と三艘の帆前船

あるのみなれば世界の雄たる英國に對すれば蟷螂の斧同前にして一も二もなく屈服の外な

きことなるに然るに飽までも其權理を主張して敢て讓らざるは暗に恃む所あるが爲めにし

て合衆國も亦新世界の主公たる面目に於て他國がトリニダツトを占領してヴエ子ズヰーラ

の頭上を抑へ英領ギニアの國境より其領土を蚕食するを傍觀すること能はざるのみならず

更らに商賣上より觀察すれば合衆國の擧動必ずしも物數奇に非ざるを了解し得べし合衆國

が其國運の發達と共に南米を拓殖して富源を開き商賣の版圖を此地に擴張せんと欲するは

既に世人の知る所にして年來其經營に怠らず甞て南米諸邦と相約し互に關税を輕くして貨

物の輸出入を便にしたるが如き又近年巨額の保護金を出して航路を擴張したるが如き何れ

も其意のある所を示すものに〓〓〓〓の強國が次第に猿臂を此地に伸ばさんとする〓〓〓

〓の利益と相容れざる其矢先きに今度英國の擧動〓〓も實際に〓〓することなれば合衆國

は政治上の〓〓を別にして實利上默視するを得ず紛耘も亦偶然に非ざるなり英は歐洲の雄、

合衆國は新世界の主人にして共に商賣を以て國を立つるものなれば萬一干戈を動すに至る

こともあらば商賣上の影響容易にあらざれば萬々破裂はなかる可しと雖も右の如く本件は

一朝一夕の出來事に非ずして寧ろ合衆國の大經綸に關する大問題なれば隨分手強く主張し

て形勢危しと見ゆるまで相爭ふこともある可し記して後來の成行きを見んのみ