「新聞紙の自由」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新聞紙の自由」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙の自由

政府は民間多年の希望を容れたるものか今回いよいよ新聞法の改正案を議會に提出したれ

ども民間の政客は其希望の眼目たる發行停止全廢の一事を見ざるを不滿足として之に反對

せんとするものゝ如し抑も治安維持の爲めとて新聞紙の政論を取締るに發行停止を用ふる

の不法にして且つ實際に効力なきは今更ら改めて云ふまでもなき所にして政府の當局者も

亦これを知ることならん之を知て猶ほ且つ廢せざるものは治安維持の外に何か望む所にて

もあるか我輩の了解する能はざる所なり或は獨逸の例を引て停止の必要を云々するものあ

れども獨逸と日本とは自から事情の異なるものあるを察せざる可らず抑も獨逸は表面にこ

そ儼然たる一の國家なりと雖も聯邦組織の舊破綻を今に存するもの少からずして全國統一

のセメント甚だ薄弱なるが故に些細の事よりして動もすれば治安を動かさるゝの恐なきに

非ず然かのみならず獨逸固有の人種は武力に於てこそ歐洲に雄を稱すれども經濟、文學等

の事に於ては遙に猶太人の材幹に及ばず着々彼等の後に落て無學なる獨逸貴族が勲章を胸

邊に輝して漫に小兒の戯榮に得々たる其間に勢力ある新聞紙は多く猶太人の手に落ちて其

機關となれり左れば獨逸の新聞紙は單に政府の非を攻撃するに止らず其言論の奥底には人

種上の怨惡心を存して其筆鋒甚だ穩ならず是ぞ獨逸政府が新聞紙に對し嚴重の取締を爲す

所以にして國内の事情より云へば亦自から尤もなる次第なりと云ふ可し我國に於ては聯邦

組織もなければ又人種の怨惡心とてもあらざるに然るに何を苦しんで獨逸に傚はんとする

か我輩の斷じて取らざる所なり然りと雖も我輩は政府の處置を是とせざると共に又全く民

間政客の云ふ所に賛同すること能はざるものなり其次第は政治上に於てこそ發行停止の全

廢は差支なけれども今の新聞紙の中には社會の風敎を害し又は士人の體面を汚す可き醜猥

卑陋の記事を掲載して自から憚からざるもの少なからざるが如し否な此種の記事を掲載し

て憚からざるのみか時としては強請同樣の事を演じて金錢を貪らんとする破廉恥漢を出し

たることさへなきに非ず苟も自から言論の自由を云々する新聞社會に斯る破廉耻漢ありと

は驚入たる次第ならずや抑も社會の人事は甚だ複雜にして人間の行爲には自から表裡陰陽

なきを得ず若しも其裡面に立入りて飽までも隱微を摘發したらば世間に迷惑するものは必

ず少なからざる可し况んや根もなき事を記載して人を傷くるのみならず迫て其財嚢を開か

しめんとするが如き市井の無賴漢と雖も尚ほ且つ屑しとせざる所なるに社會耳目の任など

自から稱する新聞記者輩にして斯る破廉耻を敢てするとは言語同斷、沙汰の限りと云はざ

るを得ず若しも此種の新聞紙をして言論の自由を肩に着て勝手自儘に其醜筆を弄せしめた

らんには如何なる極端まで趨る可きや實に苦々しき次第にして此點よりすれば社會の風敎

を維持するが爲めには是非とも相當の制裁を設けて弊害を取締るの必要ありと論ずるもの

あるも我輩は殆んど辯解の辭なきに苦しむものなり或は其記事果して無根にして人の體面

を汚すものならん或は須らく法定に訴へて立派に辯明す可しと云はんがなれども士人の體

面は猶ほ白紙の如し一たび汚されたる上は如何に辯明するも雪白の舊態には復す可らず無

耻無賴の新聞紙が卑陋の事を記して散々に人を傷けながら翌日の紙上に申譯までに數行の

取消文を掲げて平氣なるものと同日の談に非ず容易ならざる次第なれば苟も言論の自由を

得んとならば記者輩に於ても自から大に悔悟して從來の惡德醜筆を謹しまんこと我輩の敢

て勸告する所なり