「政熱の冷却」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政熱の冷却」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政熱の冷却

今年は豫てより政客の間に物議の種多き年とて議院の爭論は必ず目ざましきものあるべし

と大に待設けたるものなきにあらざりしが偖て愈よ議院開會となるや人心案外に平穩にし

て議會にも又大波瀾なく國民は敢て議院の言論を馬耳東風に聞き流すと云ふにあらざるも

去りとて又これが爲めに萬事を閑却するにもあらず悠々として其爲さんと欲する所を爲し

つゝあるものゝ如し政府黨に云はしむれば民心伊藤内閣に歐歌するが故なりと云ふ可くし

て立つ所の地位の異なるによりて見る所も亦異なりと雖も我輩の見る所は此に異なり日本

國民が過度に服用したる政論剤の瞑眩より醒めかゝりたるものにして人心漸く平状に回復

したるの兆候にこそあれば極めて賀す可き事と云はざるを得ず抑も政治の目的とする所は

人民の幸福を保護するに在りて必ずしも卑しむ可きにあらずと雖も又十數年間民間の政客

が熱したる程の重要なる事にもあらず畢竟するに商業工藝等の事抦に比して輕重はなかる

可し政治能く國家の興廢を致す可しと云へば商業工藝も亦然り黨派の紛紜を拂ひ目前の利

害を離れて眼界を一段高く据ゑんには政治と商工とは共に國家の要素にして毫も差異なき

を見る可し然るに二十年來、在朝の人々が富貴功名の門を政府に限らんとするの兒戯を演

し如何なる大商業家にても如何なる大工業家にても政府の官吏に對しては俯服頓首せざる

可らざるの勢を成し社會の萬事、文明に赴く中に於て此一事のみ依然たる封建の古色を存

じたる結果として所謂青雲の後進輩は皆相率ゐて政府に入らんとするの傾向を生じたるこ

そ一時の流行病なれ或は彼の在野黨は求むる所此にあらず政弊の改革にありと云ふ者もあ

らんかなれども彼等とても政府に入らんとするの方法に於て聊か異なる所あるまでにして

其志を得て雲上に威張らんとするの情に於ては後進輩が直に權門に哀を求めて驥尾に附か

んとするものと大差あることなく唯此れは裏門を窺ひ彼れは表門より入らんとするの相違

のみ一般の人情此の如くなるが故に一時は商業も工業も一切政論に吸収せられて顏色なく

選擧と云へば鋤鍬を擲て奔走し彈劾の上奏と云へば算盤を捨てゝ議會の方に目を配り開會

中は百事殆んど手につかず恰かも相撲芝居に凝りたる者が湯屋髪結床の噺に浮かれて生業

を忘却するに似たり立憲國民として政治を以て他人の事とせず自身の家事の如く感ずるは

尤ももの次第ながら熱中の餘り狂奔に類するものあるは我輩が多年の遺憾、これを評して

封建時代の傳來士族相應の政論剤を過用して瞑眩を生じたるものと云ふも過言に非ざる可

し然るに今や幸にして人心其平状に歸り政治は一國を組織する一小部分の事にし商業は商

業、工藝は工藝、各々獨立の門を張て富貴功名、必ずしも政府に限らず否な富貴功名の大

なるものは却て政治以外に存するの事實を發見し爲めに政熱を減じたるは我輩の素論空し

からざるを表するのみならず一方より云へば國民の實力非常に發達して區々二三政治家の

力を藉るの要なきと共に更らに大に自信の力を增加したるの證據として見るべし若し此事

實を疑ふ者あらば今日の政治家が朝に在ると野に在るとを問はず實業家に對するに前日傲

漫の態なくして却つて汲々として交を温めんとして得ざるを恐るゝの状あるを見て知るべ

し即ち富實の力能く政權を吸収したるものにして今後實業家の責任益す多きを加へたるも

のと云ふべきなり