「小黨分立ますます可なり」
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本文
小黨分立ますます可なり
小黨分立ますます可なり
我輩は本來政黨に重きを置かざる者にして孰れの黨派が勝を制するも庭前の小鳥が梢を上
下するに等しく極めて淡泊に看過するの常なれども左ればとて全く無頓着にして忘るゝ者
にも非ず盖し彼の小鳥が梢に上らんとして得ざるを見ては其枝を擇むの法を思ひ或は其右
往左往に徒勞するを見ては其勞力を省かんことを祈る誠に無益の沙汰なれども亦是れ人情
の自然なる可し左れば近日に至り流石に政黨に無頓着なる我輩も衆政客の擧動を見ては殆
んど一言するの禁ずべからざるものありと云ふ次第は外ならず彼の一流は天下國家の經綸
に於ては率ざ知らず兎に角に多年の經驗、自然の本能よりして時勢の變動傾向を察するに
於ては蟻が降雨を前知すると同一の能力ある可き筈なるに實際は然らずして迂闊千萬、依
然たる空論家に止るは如何にも不思議の至りと云はざる可らず現に昨今在野黨合同など云
ふことに奔走し百事を廢して餘念なきが如きは其一例とも云ふ可し抑も多年來政黨界には
小黨分裂の弊など云ふ一種の立言あれども我輩は之を弊害と見ずして却て國民の利益と信
ずるのみならず自然の勢、已むを得ざなものなりと斷言して憚からざるものなり若も今日
の民心にして十七八世紀頃の如く單純無雜、唯王黨、民黨の稱號を以て萬事を速斷し得べ
きものならば政黨も亦唯朝野の二黨にて足る可けれども王黨民黨時代の已に經過したるは
恰も源平兩黨の時代の遙に過ぎ去りて夢にも見る可からざるが如く人心のますます自由に
赴くに從ひ社會の人事もいよいよ複雜を加へて官に非ずんば即ち民などと云ふが如き單純
なる决斷は最早や實際に容るさゞるに至れり現に兩黨論者が云々する所の英國の政黨の如
きも名は自由保守の二黨のみなれども其實は黨内更らに幾多の小派を存し小派相集つて更
らに大黨を爲すものにして聯合政黨と云ふこそ寧ろ事實に近けれども彼の勞働黨の如き羅
馬敎黨の如き愛蘭黨の如き自由統一派の如き尚ほ之に滿足せず公然黨名の旗幟を立てゝ奔
走するは近來著しき現象ならずや獨逸の如き佛國の如き其黨派の多きは今更ら云ふまでも
なく又米國の如きも共和合衆の二大政黨の外三四年以來は更らに人民黨、禁酒黨の兩黨を
生じ政局の勝敗も此兩黨の去就に决する程の次第にして即ち人心の自由を重んずるに從ひ
小黨の分裂は政界自然の傾向なりと知る可し斯くて其成行を如何と云ふに小黨互に對抗し
て互に勢力を殺減しおのおの過分の要求を實にすること〓はず政府は自から國民協同の代
表者となりて初めて民意調合の妙を見るに至る可し世界近來の趨勢に徴〓〓我輩の疑はざ
る所なり左れば今在野の各政黨が合〓〓々の談の如き自然の大勢、人心の傾向に逆ふもの
にして昨今の光景を以てすれば或は一旦の合同は成就すべきも永く一大政黨として其合同
を維持するが如きは甚だ覺束なきことなれば寧ろ合同の談を止めにし各黨の〓〓を其儘に
して聯合を謀るこそ實際便宜にして且つ〓日の紛紜を避くるの利益ある可し我輩は餘計な
〓〓一言の忠告を呈して取捨は其人々の勝手に一任するものなり
内務大臣の更迭
内務大臣野村氏は昨日職を免ぜられて司法大臣芳川氏が一時兼任を命ぜられたり新聞紙上
に野村氏は政府と自由黨との結托に關する條件に付き何か閣員と意見を異にして職を去る
可しとの風説ありしが別に病氣等の沙汰も聞かざりしに突然の辭職を思ひ合はすれば或は
是邊の事情に由るものと認めざるを得ず政府が自由黨との結托に付き早晩部内に異議の起
る可しとは其當時我輩の豫言したる所にして今日果して事實を見たり閣員の一人たりし野
村氏にして尚ほ且つ然りとあれば閣外に在る故老の輩にして兼て現當局者の所置に不服な
る人々の間には更に一層の物議を見ることならん一方に政府は自由黨の賛成を得て此議會
も先づ無事に經過の望あるが如し頗る安心なれども一方には其部内に早く既に反對者を生
じて其消息を世間に現はしたり議會の去就より寧ろ内部の折合の爲めに動かさるゝは今の
政府の常にして此一事は輕々に看過す可らず一難去れば一難來る政府の多事想見る可し