「修身敎科書に關する貴族院の建議」
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本文
修身敎科書に關する貴族院の建議
學者冷靜の眼を以て觀察すれば議會の如き衆愚の府に過ぎずとの説ある位なれば我輩は必
ずしも之に責むるに名論卓説のみを以てせずと雖も過日貴族院が修身敎科書の編纂は政府
自から之に當るべしと建議したるを見ては沙汰の限りとして憫笑せざるを得ず文部の當局
者必らず具眼の士なきに非ざれば斯る僻論に動かされて自から識者の笑を招くが如きこと
なかる可しと信ずれども聊か一言せざる可らずと云ふ次第は兎角何事も政府に依頼するを
以て最良の術と信ずる無氣力依賴主義の人物少からざる時勢にして或は官府の中にも此時
勢に乘じ官版の修身書を以て國民道德の標準とせんとするが如き奇人なきにしも非ざる可
れば我輩の所論必ずしも杞憂にあらざる可し抑も道德の原理に溯りて之を論ずれば種々
樣々の議論あることにして古今千百の賢哲其揆を一にするものなしと雖も畢竟するに唯そ
の赴く所の道を異にするまでにして歸する所は一のみ社會の組織未だ充分に發達せざるが
ため或は文化の程度未だ高尚ならざるが爲め時には族長時代に行はれたる道德の舊面目を
存するものなきに非ざれども文明進歩の勢に伴ふて遂には其標準の歸一を見るに至る可し
譬へば地層を検察せんに石灰は多く無脊髄動物の時代古赤砂は魚類時代チヨークは匍匐獸
時代等自から判然たる區分ありて噴火、地震の作用にあらずんば容易に時代の特質を混蕩
することなきが如く人類の文明に於ても亦自から一定の時期あるものにして其時期相應の
特色を誤ることなし人生の道德の如き即ち其一箇條にして社會の文明一定の時期に達すれ
ば其時期相應の道德なきを得ず自然の約束にして幼兒には幼兒の思想あり少年には少年の
思想あるが如し學者が修身敎科書を編纂せんとするに當り苟も自から欺かざる以上は知ら
ず識らず其時代の特質を代表すること疑ある可らず即ち子弟〓德敎を之に一任して妨なき
所以なり假りに一歩を讓りて彼の建議の如く文部省が委員を設けて著述せしむることあり
とするも省中これに適する高德達道の君子ある可しとも思はれざるのみか事の正面より論
ずれば學者著述の權を束縛して思想の自由を奪ふものと云ふ可し少しく敎育の事に思慮あ
る者の决して賛成する能はざる愚案なるに易々と貴族院を通過したりとは如何にも不思議
の次第ながら所詮萬事政府に依頼するを可とする卑屈心の然らしむる所なる可し若しも修
身書の編纂を政府に托す可しとするの論にして不可なしとせば科學、文學の敎科書も何故
に政府の編纂を待たざるか、天下萬般の善惡、個人私行の是非も何故に政府の判斷を待た
ざるか論者と雖も其能はざるを知ることならん然るに獨り修身書の一事のみ政府に依賴せ
んとするは我輩の解する能はざる所なり或は之を評して彼等は民間の道德思想を壓服せん
がため力を官府に藉らんとするものなりと云ふ者あるも辯解の辭はなかる可し本來德敎は
耳より入らずして目より入るものなりとは我輩の素論にして餘り重きを敎科書に置かずと
雖も明治文明の士君子にして猶ほ康煕字典編纂時代の夢を忘るゝ能はず官府の萬能力を過
信するを見ては一言せざる能はざるなり