「軍備擴張の緩急」
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時事新報に掲載された「軍備擴張の緩急」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
軍備擴張の緩急
軍備擴張は當今の急務たること論を須たず日本國中一人も異論なきは我輩の保證する所な
りと雖も其擴張の方法に至りては前後緩急の論少からざれば我輩は衆議院が精思熟慮して
政府の原案を修正せんことを待ち設けたるに其甲斐なく豫算案の全體を其まゝ通過したる
は我輩の甚だ遺憾に思ふ所なり抑も今回の軍備擴張たる一見すれば些々たるが如しと雖も
其實空前絶後の大計畫にして陸軍のみに就て云はんに明治二十九年度より三十四年度〓に
一億六千二百三十萬圓を費し更らに第二期の計畫に於て三千八百五十萬圓を費し前後二億
八百萬圓を支出することにして此經費を以て幾何の陸軍を見る可きやと云ふに豫備、後備、
現役を通算して概略五十四萬人以上六十萬人以下に達す可き計算なりと云ふ即ち此計畫に
して成就したる曉には日本の兵備機關は忽ち勃發して封建時代の士族戰員より超過するこ
と十四萬乃至二十萬に達す可き計算なり我輩は二億八百萬圓の聲にも驚かず五十四萬人の
數をも怪しまず日本の安全を保たんに是非とも必要なる人員經費なりと云はゞ悦んで相談
に應ぜんと欲するものなりと雖も且らく政府が海軍の爲めに如何なる計畫を立つるかを見
んに前後の二計畫を通じて二億四千三百五十萬圓を費さんとするに過ぎず若し陸軍に五十
四萬以上の大兵を備へずんば安全を保つ能はざるほどの國状ならば僅に陸軍の經費を超ゆ
ること三千五百萬圓に過ぎざる海軍に依りて果して日本海支那海を縱橫して覇權を保つを
得べきか甚だ懸念に堪へざる次第なり况んや近時新奇なる武器は年々歳々に發明せられ一
器の使用に堪ふる年月は十年を出でずと云へば現今の軍艦武器の十年後に至りて使用に堪
ふるものは極めて僅少ならざる可らず愈々以て海軍の力は充分なりと云ふ能はざるなり然
るに近時の戰鬪の證據立つる所によれば此懸念に堪へざる海軍こそ最も日本國民の依賴せ
ざる可らざるものたること明々白々たり現に一昨年支那兵が牙山を占領したる時、一歩を
進んで我兵を京城に入れて機先を制したるものは軍艦の力に外ならず南洋灣に支那軍艦を
撃沈して其軍氣を挫きしも軍艦の力に外ならず最後に大孤山沖に支那艦隊を撃破して渤海
復た一の支那船を見ざるに至らしめたるものも軍艦の力に外ならず若しも此時に當りて渤
海支那海の權力を我に収めざりしならば如何なる珍事の生ず可きや豫じめ知る可らず〓〓
〓に似たれども丁汝昌の建策の如く支那艦隊にして進退策を取りしならば我國は却て守防
に立ちしやも知る可らず此に至つて先づ海上の權を占むる者遂に勝たんと云ひナポレオン
の言益々味ありと云ふ可し日清戰爭の結局に鑑みて歐洲列國が鋭意して海軍擴張を勉むる
は如何にも尤もなる次第なり然るに斯かる經驗あるにも係らず我當局が海軍を重んずるこ
と割合に輕きは如何にも我輩の解する能はざる所なり或は陸軍に政治家多く海軍に技術軍
人多きが爲め陸軍は自然に政論上の發言權を有すること多きによるとの説もあらんかなれ
ども是等は政府部内の情実我輩の頓着する能はざる所にして若しも斯る事情に由りて海陸
軍に偏輕偏重を生じ一旦緩急の時に臨んで民心不安の事もあらば其責輕からずと云ふ可し
故に我輩は更らに政府の一考を促がし若しも兩樣共に一時の大擴張を難んずるの事情あら
ば少しく陸軍の手を弛めても海軍の方に十分の力を注がんことを勸告するものなり我輩敢
て海陸軍の何れにも偏するに非ずと雖も唯我海國たるの形勢を重んじ又一昨年來經驗した
る戰爭の事實に徴し兩者擴張の輕重をば云はずして其緩急前後を論ずるのみ鄙言若し聽か
れざるに於ては臍を噛むの後悔多年を出でざる可しと今より默想して寒心に堪へざる所な
り