「東京の地面」
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時事新報に掲載された「東京の地面」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京の地面
開國四十年來一般社會の變遷進歩は今更ら驚くに堪へたる中にも經濟上の變化は特に著し
きものゝ如し例へば開港の當時に於ては日本人は金銀の價を知らず小判一枚と銀四枚と交
易して外國人に非常の利を貪られながら自から悟らず又生絲の如きも彼等の買ふまゝに賣
却して價の如何に頓着せず只賣るゝの多きを喜びたる次第なりしに今日に至りては人々金
銀の價を明にして斯る愚を演ずるものとてはなく又生絲の輸出も世界普通の直段を問ふて
賣買を决することゝなれり又金利の如きも月二十五兩一分即ち年一割二分の利息を公定の
率として貸借の紛耘より訴訟沙汰などに及ぶときは必ず其利率を拂はしむるの例にして實
際の割合は尚ほ高かりしを知るに足る可し然るに現今の利息は一割以下にして現に法律上
の定率は六分なりと云ふ又米價の如きも往事に在ては國内限りにて價の定まりたるものが
今は然らず騰貴すれば自から外國米の輸入を來し下落すれば自から内國米の輸出を見る可
し何れも實際の事實にして世人の熟知する所、四海交通の今日、諸般の物價の如き世界を
通じて次第に平均せざるを得ず經濟上自然の大勢なるに然るに茲(玄+玄)に法外なるは
我國に於て地面の價の低廉なる一事なり田舎の地方は姑く擱き東京の地價を如何と云ふに
府下の中心なる日本橋近邊にて一坪五六十圓内外が最高の直段なりとは驚入たる事實なら
ずや抑も我東京は人口の數より見るも又繁華の點より見るも倫敦、巴里、ニユーヨークは
いざ知らず伯林、聖彼得堡等の上に出づるは决して疑ふ可らず而して彼の都會の地價を算
するに坪を以てするが如きは曾て聞かざる所にして現にニユーヨークなどにては一方尺三
百何十弗にて賣買の塲所さへありと云ふ一方尺三百弗とは自から格別の塲合ならんかなれ
ども以て一般の有樣を想見するに足る可し然るに東京は世界に於て第四と下らざる大都會
にてありながら目抜の塲所にても一坪何十圓の價に過ぎず况して塲末の如き外國都會の地
價に比すれば殆んど無代價同樣と云ふも可なり實に法外の談にして事實に許す可らざる所
なれば今後經濟社會の大勢に於て府下の地價が次第に騰貴を催ほし現在の幾十百倍の價を
見るは斷じて疑ふ可らず但し今後何年にして其實を呈するか之を明言するは難しと雖も騰
貴の事實は經濟上自然の大勢に徴して萬々疑なしとすれば今より此點に着目して大に地面
を買入れ以て他年の價を待つは利殖家の事なる可し或は普通の商人の如きは資本の運轉甚
だ忙しく他より融通するなどの塲合もなきに非ざれば其資本を土地に下して永遠の利を期
するが如きは迚も望む可らざる所なれども彼の大華族もしくは素封の大家の如く單に公債
の利子に安んずる人々などには最も適當の利殖法と云はざるを得ず或は未來の事に金を投
ずるより現在の公債を所有する方、安全なりなど云はんかなれども公債の如きは今後幾年
を經るも其價は依然として格別騰貴の見込なきに反し地面の騰貴は萬々疑なきのみか安全
の點より云ふも公債と同日の談に非ず我輩の慥に保證する所なれば其人々にして永遠の計
を爲さんとならば爰に一大會社を起し幾千萬の資本を蒐めて大に地面を買入るゝの計畫こ
そ目下の至計なれ而していよいよ實行に就ては自から種々の方法もあらんなれども先づ差
當り外國に人を派遣し都會の發達、地面騰貴の次第を統計と實地とに由りて詳細に調査せ
しめたる上、豫算を立て計畫を定めて徐ろに着手すること事の順序を得たるものなる可し
華族素封家の人々に對して我輩の敢て勸告する所なり