「臺灣處分の方針」
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時事新報に掲載された「臺灣處分の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
臺灣處分の方針
臺灣の嶋民に對する方針は巖重一偏を旨として阿片の喫烟を禁ずるは勿論、衣服も改めし
め斷髪令も施行すべし或は所持主の分明ならざる田地田畑等は悉く沒収して官有に歸せし
む可し毫も遠慮に及ぶ可らずとの次第は我輩の屡ば述べたる所なれども世間にては之を大
人氣なしとして反對の説も少なからざるよしにて實は當局者も何れの説に從ふべきやとて
思案當惑の意味なきに非ずと云ふ強ち無理ならぬ次第にして内地に在て單に表面上より推
論するものと嶋地の實際を視て其人情風俗を察したるものとは自ら所見の相違あるのみな
らず等しく實地を目撃したるものにても其地位關係の如何に依拠りては自から觀察の點を
異にするものなきに非ず例へば同じ商人にしても彼の嶋民と事を共にして利を収めたるも
のは彼等の賴るべく信ずべきを稱すれども之に反して彼等と競爭の地位に立ちしものは其
狡猾にして卑劣なるを云々するが如く施政上に就ては或は嶋民の馴れ易きを便として寛大
の民政を敷く可しと云ひ或は一通りの折檻にては容易に度し難き獷〓の蠻民なれば軍政を
以て處分せざる可らずと云ひ人々所見を異にして殆んど底止せざる可らず若しも當局者に
してかゝる議論に耳を傾けたらんには施政の方針は終始動搖して歸する所なく新領地の人
民をして到底我治化に浴せしむるの期なきに至るべし我輩の掛念に堪へざる所なり抑も新
版圖を治むるには國家の經營上より大方針を定めて容易に動かすべきにあらず彼の英國の
如きは海外の領地に對するに無噸着の主義を執りて成るべく無事に治め專ら歳入の多きを
謀るの方針にして自から一種の方策なれども我國の塲合は之に異なり臺灣の土地を我手に
入れたるは恰も家族の大に增加して從來の家のみにては甚だ手狹にて萬事不自由を感じた
る折抦偶然他の空家を求め得たると同樣の次第なれば其家の勝手宜しからずとあれば新主
人の思ふまゝに模樣替して一日も早く家族を移住せしめざる可らず或は國に入ては禁を問
ひ禮を行ふには俗に從ふべしなど古風の議論もあらんかなれども是れは昔し昔し世界の狹
き時代に一國の版圖内に行はれたる諺にして新に海外の地を得て異域の民を御せんとする
が如き今日の塲合には通用す可らず我輩の斷じて取らざる所なり又翻て東洋の天地を眺む
れば濁浪澎湃、渦を巻かんとする其中心に當りながら軍事上に大關係ある新領地の始末に
荏苒日を空うするが如きは實際に危險至極と云はざるを得ず多年來中華中國の尊大を夢み
たる其頑夢の未だ醒めざる頑民等がたまたま一敗したればとて平素より輕蔑したる倭奴の
日本人に心服すべき理由なければ斷然威力を用ひ一朝外患の變あるも彼等をして内應する
こと能はざらしむるまでに取締ることの必要なるは數の見易き所なるべし河海は細流を擇
ばずとて從來の風習を保存して彼等の歡心を得んとするが如きは永く後患を殘すの姑息手
段に過ぎざれば假令ひ多少の異論者あるも此際思ひ切て威壓主義の方針を一定し着々實行
せんこと我輩の呉れ呉れも勸告する所なり