「農工銀行及び勸業銀行」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「農工銀行及び勸業銀行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

農工銀行及び勸業銀行

勸業の事に就ては政府が屡ば手を出して失敗したるの實例少なからず今更ら珍らしからぬ

ことにして最早や斷念と思いの外、今度議會に提出して目下特別委員にて審査中なる彼の

農工銀行及び勸業銀行の兩案の如き專ら勸業の目的に出でたるものにして前途の成行甚だ

明白なり常に政府の干渉に反對する議會に於ては多分否决することならんと思へども委員

會などにては格別反對もなきよしなれば聊か所見を述べて注意を促さんに農工銀行は其名

の如く農工業の改良發達の爲め資本を貸付するの目的にて扨その仕組は各府縣及び北海道

を以て一營業區域と爲し各その區域内に株主を募りて二十萬圓以上の銀行を起さしめ政府

は府縣の手を經て少なからぬ補助金を交附し區域内の土地と家屋を抵當に低利の貸出をな

し之を年賦にて返納せしむるの法なれども限りなき不動産に對し限りある資本を貸出すは

事實甚だ困難なるが故に別に債券發行の權利を與へ資本金に對し五倍の額までは之を發す

ることを得せしめ又斯くして發行したる債権を抵當に資金を引出し又農工銀行の力にて應

じ難き大事業に貸出すが爲め更らに中央に一千萬圓の資本を以て勸業銀行と名くる一の大

銀行を設け是れ又資本金の十倍までは債権の發行を許し大小相待て國内の勸業の爲めに資

金を貸付せんとするものなれば農工銀行も勸業銀行も其目的組織は同一にして平たく云へ

ば一方は下質を取り一方は上質を取るの相違あるのみ政府は斯る金融機關を設け自から主

働者と爲りて國庫の金を散じ以て民業の發達を促すの目的ならんかなれども果して其目的

を達す可きや否や我輩の大に疑ふ所なり其次第は第一に先づ兩銀行ともに其資本に對し數

倍の貸出を為さんとするの目的にてありながら其利息は世間普通の割合よりも安からしめ

んとするものなれば其資金の融通も自から安き利息に求めざる可らず政府の説明に據れば

貸借共に普通の利率よりも二朱安の利息を以てせんとするの精神なるが如くなれども如何

にせば斯る方法を工夫し得るの道ある可きや先づ貸出方の例として土地低當の塲合如何を

見るに普通地主の所得は公課金を除きて大抵、五朱以内の常なり然るに農工銀行の貸出は

地所の實價三分の二までを限り又その返却の方法は公課金を除きたる所得の上に出ること

能ざるの規定なるが故に例へば千圓の實價ある地所に對しては六百六十圓の金を貸附なが

ら返却の年賦金は五十圓以上を収むること能はざるを以て据置年限と利息の勘定とを加ふ

る時は到底二十年以下にては完納し得べからず殊に低利を以て貸出さんとするには一方に

於て募集する債権の償還期限は自から長からざるを得ざる其上に其利息も三朱若くは四朱

の低利を以てせざる可らざる次第なれども斯る低利の金は到底今日の實際に望む可からざ

るが故に法案に於ては一種の抽籤法に依り償還の時に割增金を與るの法を設け恰も富籤の

實を行ひ募集の便を得んとするの趣向もあれども其割增の歩合甚だ少なければ到底應募者

の好餌と爲すに足らざる可し最も富籤の法は古來内外共に實例少なからずして之を以て低

利融通の道を開かんとするは自から一種の方法なれども法案の如き趣向を以て低利の融通

を望は恰も公開の市塲に相塲外れの掘出物を爲さんとするに等しく隨分困難の事なり然る

に之に反して貸付金の返濟法は前述の如く収益の上より慥に出來得るの限りを以て期限を

定めたるものなれば年限の間は其利率を變ずるを得ず或は天災不作等の塲合には延期若し

くは滯納するものはある可しと雖も借手の方より年度を繰上げて一時に返濟するが如きは

先づ以て絶無にして殊に何れも廿年或は三十年などいふ永年賦の金なれば其貸借は或は二

代三代にも跨りて借りたる人と返すものとは其人を異にするが故に年所を經るに從て借り

たることは既に忘却し唯返す苦情をのみ鳴らすもの多きは人情の免れ難き處にして續々斯

る輩の出で來るときには如何に之を處分す可きや桑田變じて海と爲る時は貸主の損毛に歸

すれども荒原化して良田と爲りしとて借主は必ず貸主に利を分つ可きに非ず又地所を抵當

に取るに最も困難なるは最初價の標準を定むるの一事なれども銀行の趣意は改良發達を目

的として収益を引當に實價以下の貸付を爲すものなれば各地方にては荒地の開墾、山林の

種植又は疏水の工事等思ひ思ひに種々の計畫を案じ種々の地面を抵當として銀行より金を

引出すもの多かる可く其事業にして立派に成効の曉は返濟の道もある可しと雖も若しも不

成効の夕には皆低當流れと爲りて處分の方法に窮すること必ず多かる可し既に先年政府部

内に一時勸業熱の盛なりしとき國庫より勸業資金を各府縣に貸渡す可しとの説ありて先づ

第一着に生絲の改良を補助するの目的なりしが當時生絲の産地と云へば全國中上州地方に

及ぶものなかりしかば同地に生絲改良會社なるものを設立せしめ前後六十萬圓以上の金を

政府より交附し土地を抵當として人民に貸渡したる其結果は如何なりしやと云ふに低當に

持込みたる地面は多くは荒地、砂畑、赭山、川敷等一筆として収益あるものなく又實際に

生絲の改良も効を奏せざるのみならず今日同地方にて相替らず製絲業を營むものは此改良

會社に加らざる輩にして勸業資金の恩惠を受けたるものゝ中には一時榮華の夢を夢みたる

ものも少なからざる可しと雖も結局彼等も其資金と共に自家の財産をも遣ひ果して其餘波

隣縣にまで及び之が爲めに或る國立銀行の倒産を致したるは實業社會の人々が今に記憶す

る所なる可し然るに其方法こそ少しく異なれども今度の趣向も其結果は大同小異にして詰

り失敗に歸す可きは今より斷言するに難からず我輩の敢て注意を促す所以のものなり尚ほ

終りに臨んで一言す可きものあり今回設立せんとする二種の銀行は其目的の通り單に不動

産抵當の貸出のみにて營業するときは前記の如き計算にして前途覺束なきのみならず尚ほ

毎歳の収益も少くして株主の配當も好成績を見る可からず斯ては妙ならずとの考より出た

るものならん本業の傍ら餘業として普通銀行の營業をも併せ行はしむるの趣向あり立案者

の苦心察す可しと雖も現今我國の銀行業は漸く發達して根底を確立せんとするの時に當り

假令ひ餘業とは云へ恰も官業を以て普通の爲替、割引等を行ふは取りも直さず民業と競爭

せんとするもにして無益の沙汰と云はざるを得ず法案の説明を見れば當局者は其餘業には

餘り重きを置かざるの口氣あれども實際の成行は决して然るを得ざる可し如何となれば商

工銀行と云ひ勸業銀行と云ひ其本業のみにては相應の利益さへ覺束なき故に相應の利益を

得て普通の配當を爲さんとするには是非とも餘業の方に勉強して爲替、割引等の營業を盛

にせざる可からず即ち目的以外の業に手を擴げて民業に對し無益の競爭を試みながら其結

果も必ず妙ならずして自から失敗す可きは自然に免れざるの數なればなり故に我輩は何れ

の點より見るも此法案には大不賛成にして萬々見込なきを斷言するに憚らざるものなり