「墓地の舊習を改む」
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時事新報に掲載された「墓地の舊習を改む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
墓地の舊習を改む
臺灣の嶋民が葬祭に關する儀式を重んずるの一事は同地に赴きたるものゝ知悉する所にし
て全嶋を通じて概ね皆然るものゝ如し今我輩が斷然其儀式を排斥して棺制を一定すべしと
論ずるは徒に奇言を弄するにあらず事の實際に於て彼我共に便利なるものあればなり抑も
彼地にて死體を納むる木棺は長さ六尺餘にして幅も厚も之に準ずる其木棺を橫にして深さ
僅に二三尺に過ぎざる穴に埋め四方より土を覆ひて之を堆くし更に鳥翼の如く左右に築き
出して其上に芝を植るものなれば其廣さ數十歩に跨るものあるのみか塲所を擇ぶが爲めに
城邑近傍の良地は既に占め盡して狭きを告げ近來は田畑の中にまで墓地を設くるに至れり
と云ふ斯の如きは未墾の土地多き今日の臺灣にして始めて行はるゝことなれども今後内地
より移住するものおひおひに增加するときは斯る無益の虚禮に有用の土地を棄て去る可き
に非ず早晩制限を加へざるべからざるは勿論の事なれば他日に至り情實の纏綿たる後に於
てせんよりは方向未定の今日に於て斷行するの優れるに如かざるなり或は嶋民の喪祭を鄭
寧にするは祖先傳來の儒敎に基き既に多年の習慣を爲したるものなれば遽に手を下して之
を改むるは人情の忍びざる所なりとの説もあらんかなれども若しも彼等を治むるに儒敎主
義に頓着して聊かも猶豫したらんには其主義に於ては彼等こそ日本人の先輩にして自から
中華の民を以て誇り心の底には吾々を輕蔑するものなれば恰も其自負心を增長せしむると
同樣にして到底彼等を心服せしむるの期はあるべからず我輩の斷じて取らざる所なり我軍
人の彼地に於て戰死又は病死したるものゝ墓の如きは内地の同樣甚だ簡潔にして毫も虚禮
虚式を用ひず彼等の現に目撃する所なれば之を模範として日本の習慣は云々なりと説き聞
かせたらば其舊慣を改めしむるは左までの難事にあらざるのみか結局は彼等も自から便益
を認めて自から悟ることなれば今日に於て斷然の處置に出でんこと我輩の希望する所なり