「伊太利の敗北」
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時事新報に掲載された「伊太利の敗北」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
伊太利の敗北
伊太利がアビシニヤを征服し藩屬の名を實にせんとして却て大敗を招き一旅團の軍隊その
往く所を知らざるに至りし事實は歐洲電報の報ずる所なり單に此事實のみを見れば歐洲の
新式兵が亞非利加の土兵に破られしと云ふに止るが如しと雖も此遠征軍の起原沿革を尋ぬ
るときは事態决して輕からず或は延いて歐洲の權力平均を覆すことなきを期す可らざるが
如し抑もアビシニヤは亞非利加海岸の一小國なりと雖も其地勢自からスエス運河とアデン
海峽との口を扼する兵事上の一大要地にして若しも此土地に強大なる兵備を備へて紅海に
臨むときは歐洲の諸強國は一兵を印度洋に送るを得ず露國が英國に對抗して其勢威を張ら
んとするには最も必要の塲所なりと云ふ可し左ればアビシニヤが現に伊太利の保護國たる
を承知しながら露國は昨年の七月其王メ子レックをセントピータースバルクに招待し兩國
共に等しく希臘敎を信ずるを名として百方籠絡手段を施したるに當り機敏なる外交家は此
際既にアビシニアが他日必らず伊太利に背きて獨立するの時ある可きを豫言したりしが果
せるかな其後間もなくメ子レック王は伊太利の保護を拒絶して爲めに外交上の紛紜を生じ
たると同時に露國のノヴオスチ新聞は全力を擧げて伊太利と爭ふもアビニシヤを獨立せし
めて其沿岸に露國の石炭貯蓄所を設け一旦有事の日には佛國の領地ヲボツクと相對して露
佛の海軍根據地と爲し以て英伊兩國の聯合艦隊に當らざる可らずとまで論じたりしかば何
人もアビシニヤ王と露國とは最早や尋常一樣の間抦に非ざるを信ずるに至れり然かのみな
らず今回伊太利の陸軍が大敗して六十門の砲を委棄して走りたりとの報に接するや露國の
ノヴオ ウレーミヤ新聞の如きはアビシニヤ王の爲めに寄附金を募集したる事實を見ても
露國の意志は决して淡泊ならずアビシニヤに據りて紅海の口を扼し以て英伊に當らんとす
る其大計畫の端尾を茲に現はしたるものゝ如し故に伊太利の敗北は獨り同國の勢力の消長
に止らず延いて歐洲權力の平均を動かすこと决して少小ならざる可し既に舊三國同盟中の
墺地利の總理大臣ゴルホヴスキ伯が該事件の爲めに獨都伯林に赴きたるが如き同盟中に動
搖を生じたるの徴候には非ざるか兎に角に事態頗る容易ならざるものあるが如し其形勢の
如何に變じて且つ如何なる新現象を生ず可きやは次回の歐洲通信を待て知るを得べし