「復祿法案」
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時事新報に掲載された「復祿法案」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
復祿法案
衆議院にては百餘名の連署を以て家祿賞典祿處分法なるものを提出したり近年來各地方の
士族の中に復祿請願と唱へ種々の理由を述べて藩制施行の當時に沒祿もしくは減祿に處せ
られたる其祿を元の高に復し其高に相應する公債證書を得んとて周旋運動するものあるよ
し屡ば耳にしたる所なれども其理由は兎も角もとして今更ら復祿云々とは驚入たる沙汰に
して何人も取合はざることゝ思ひの外、衆院の議員が自から其案を提出するに至りては聊
か論ずる所なきを得ず抑も當時の事情を詳細に調べたらば種々の間違ひもありて實際に憐
れむ可きものもあらんなれども何を云ふにも王政維新廢藩置縣は我國の大革命にして政治
は勿論、社會の組織さへも根底より一變したる程なれば其間には非常の珍事も行はれて單
に家祿のみならず謂はれなくして生命を失ひたるものもなきに非ず今日より顧みれば亂暴
至極と評するの外なけれども其時の有樣に於ては止むを得ざる次第にして今更ら不平を訴
ふるは愚なりと云ふ可し或は維新匆々の時季は兎も角も明治三年藩制施行の後は天下の政
權全く中央に歸して一切の責任は政府に於て知る可き筈なれば復祿の請求は至當なりと云
はんかなれども藩制の施行こそ明治三年なれども實際に其實を擧ぐるまでは中々容易なら
ずして多少の日月を費したる其間に各藩に於ては銘々勝手の手心にて事を處したることな
り家祿沒減の處分の如きは大抵その際に行はれて中央政府の與り知らざる所なるに然るに
二十何年後の今日に至り之を云々するとは時勢を解せざるの擧動と云はざるを得ず或は又
當時の事情は兎も角もとして全國一般の士族は家祿の代りとして相當の公債證書を得たる
其中に一時の間違ひより沒減の處分に遇ふて苦しめられたるは他に比して不公平なりとの
説もあらんかなれども維新の革命は地震洪水の災に等しく其災に罹りたるものは不幸の極
に相違なしと雖も左ればとて他の災を免れたるものに比較して不平を唱ふるも實際致方な
き次第なれば天災に遭ひたるものと覺悟して自から諦むるの外なきのみ若しも單に理窟一
偏よりして之を云々せんか第一に廢藩の處置の如きは最も不平の甚だしきものなれ三百年
來祖先より傳へたる土地人民を沒収せられ公債證書に換へられたる其損害は非常のものな
れども又更らに一歩を進めて考ふれば大名の所領は勿論士族の家祿の如き其本を尋ぬれば
鎗先の功名に得たるものにして其功名とは取りも直さず戰國の時代に恰も切取強盗を行ふ
たる其手抦に外ならざれば本來を云へば維新の際に悉皆沒収せられても訴ふる所はなき筈
ならずや左れば理窟の論は止めにして實際の結果を如何と云ふに若しも斯る法律を實にす
ることもあらんには種々の證據事情を申立てゝ復祿を望むもの續々輩出して際限ある可ら
ず金額は兎も角もとして其手數だけにても實際に容易ならず甚だ睹易き處にして到底實行
す可らざるものなるに然るに衆院の議員が自から其法案を提出したるは何か事情のあるこ
とならん其事情は我輩の知るを要せざる所なれども斯る無益の戯は國民を代表する議員の
擧動に非ずとして聊か忠告を試みるものなり