「朝鮮國王と露國公使」
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時事新報に掲載された「朝鮮國王と露國公使」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮國王と露國公使
朝鮮國王と露國公使
去月十一日の政變に朝鮮國王は宮中を脱して露國公使館に行きたるまゝ今に歸らず一切の
政令も同館の中より出でて王の一擧一動は恰も公使の手中に存するの姿なれば右するも左
するも只他の命ずる儘にして如何なる約束も容易に行はれざるを得ず左れば實際に朝鮮を
擧て露の保護國と爲すは申す迄もなく或は元山津の邊などは既に他の版圖に入りたるも知
る可らずなど竊に疑ふものもあらんなれども我輩の所見は全く別にして實際に事の必無を
斷言するものなり抑も國王が露國公使館に投じたるは過日の紙上にも見えたる通り李範晋
等に欺かれたるものにして王は公使に接して其挨拶の意外なるに驚きたると同時に公使も
亦王の言を聽て意外なるに驚きたる其驚きは双方ともに同樣にして茲に始めて事の行違ひ
を發見したるにぞ王は今更ら夢に夢見たる如く何故に宮中を抜出したるか自から惑ふばか
りにして一日も早く歸りたきは山々なれども本來優柔の性質とて又一方に範晋等の言を聞
けば其决斷も容易ならず今は一心の思案に餘り日夜涙に暮るゝのみにて外國公使などが謁
見の折にも頭を低れて無言の有樣なりと云ふ此事實を見ても露國公使が故意に國王を誘出
したるの跡なきは明に知る可し又彼の政變に就ては公使と本國政府との間に何か打合せに
てもありたるやと云ふに本國にては只事の必要に由り水兵を上陸せしめたりとの報に接し
次で國王自から公使館に來れりとの通知を得たるのみにして實際の事情を詳にせず况して
前以ての打合せなどは斷じて之なしと云ふ我輩の聞き得たる處にして慥に事實を保證する
ものなり左れば彼の事件に就ては露國政府は毫も與り知る所なく唯京城駐在の公使が臨機
の計ひにて自から身を投じ來りたる國王を館内に留めたるまでの事に過ぎず其間に外交上
の意味なきは以上の事實に徴して明白なる可し假りに一歩を讓り國王の潜幸は單に李範晋
等の詐欺手段のみに非ずして露國人も實際、事に參して何か利せんとするの目的に出でた
るものなりとせんか今や王の一身は恰も拘留の姿にして一歩も館外に出るを得ず側に侍す
るものとては李範晋等の如き小輩のみにして王の意志は全く行はれず現に自身に知らざる
詔勅さへも發する程の次第なれば若しも此際露人に一點の野心あるに於ては何事か成らざ
るものあらんや讓地の約束を爲さしむるなり借金の證文を書かしむるなり只命のまゝなる
は勿論、或は極端を云へば恰も小兒に等しき國王の事なれば其生命を貰受可しとの文言を
橫文字にて認め之に調印せよと云ふも必ず甘んじて其言に從ふことならん生殺與奪、意の
如くならざるはなしと雖も斯くては陰險手段も餘りに程を過ぎて世界の人目を如何す可き
や露國にして果して朝鮮に志あらんには正々堂々世界の表面に之を行ふの手段なきに非ざ
るに恰も懷に入りたる窮島を捕へて窮策を行ふが如きは外交に巧みなる露人の决して爲
さゞる所なる可し少しく知見あるものゝ容易に認む可き所にして露國人が此際に處して斯
る窮策に出でざるは我輩の敢て斷言して疑はざる所なり
朝鮮の暴徒を鎭壓す可し
朝鮮暴徒の騒動はますます物騒にして日本人の害に遭ふたるものも少なからず昨今は居留
地さへも危險の掛念ありとて日夜警戒に怠りなしと云ふ抑も彼の暴徒は最初は政府に向て
王妃を害したる罪を問ふが爲めなりと云ひ又は斷髪令に不服なりなど唱へながら彼の去月
十一日の事變にて政局一變の今日は新政府の當局者が國王を外國公使館に連行たるは君王
を劫したるものなれば君側の奸を掃ふ可しと聲言するよし其口實は兎も角も事の實際は百
姓一揆の騒動に過ぎずして昨年來彼地に在りたる日本の守備隊を次第に引揚げたるより其
虚に乘じて亂暴を逞ふするものに外ならず自から他國の内事とは云ふものゝ現に日本人に
して難に嬰りたるものありと云へば更に我國より兵隊を派遣し鎭壓に從事せしむるも可な
るが如くなれども外交の事は甚だ微妙にして兵を動すは容易ならざるのみか或は遭難の日
本人の如き實際を取調べたらば種々樣々入組たる事情を存して短刀直入單に局部のみを問
ふ可らざるの意味もあらん我輩は此一事に就ても陰陽表裏に視察を運らして聊か知る所な
きに非ざれども特に外國交際の機を重んじて獨り竊に待つ所ありしに今日は外交の成行も
既に明白と爲りて一點の疑念を存せざるのみか暴徒の勢はますます猖獗にして居留地の安
危さへも頗る掛念に堪へずと云へば最早や遠慮す可きに非ず相當の兵員を出して不虞に備
ふるは勿論、或は時宜に據りては正當防禦の爲め暴徒の巣窟を一掃するも臨機の處分とし
て止むを得ざるの手段なる可し我輩は政府に向て其决斷を勸告するものなり