「國家百年の大害を如何せん」
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時事新報に掲載された「國家百年の大害を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國家百年の大害を如何せん
臺灣に於ける阿片の始末は既に决して今更ら論ずるも詮なきが如くなれども此事たる其關
係する所甚だ大にして此儘に差置くときは國家永遠の患を遺すの掛念なきに非ざれば我輩
は斷じて默々に付する能はず飽までも當局者の反省を促さんとするものなり抑も當局者が
臺灣に阿片を公許せんとするの趣意は多年來の習慣を遽に止めしむるは容易ならざるが故
に年限を定めて漸次に廢止す可しと云ふに在り實際に果して目的を達す可きや否やは姑く
別として既に我治權の下に歸しながら政令に服せずして動もすれば反抗を逞ふせんとする
彼の嶋民に對し本國にては法律に嚴禁する毒害の物を許して嗜慾を恣にせしむる其寬仁大
度の處置は彼等の定めて感泣する所ならんなれども我輩の恐るゝ所のものは嶋民を感泣せ
しめたる其結果は内地の人民にまでも次第に其毒を傳て國家百年の大害を遺すの一事なり
或は日本人は自ら阿片の害を知りて自ら謹むのみならず實際に其惡習は容易に他に傳はる
ものに非ずとて安心するものもあるよしなれども我輩の所見は全く然らず或は事の利害を
分別して自から嗜慾を節し得る程のものならんには惡習に感染するの患はなからんなれど
も今後本國より彼地に出稼し又は移住する其人民は如何なる種類のものなりやと云へば其
多數は無知の勞役者なる可きは勿論植民地に於ける實際の必要として賤業婦の如きも必ず
多きことならん然るに阿片の惡習は多くは無知無賴漢の出沒する惡所より傳はるの常なる
は臺灣の現状支那内地の有樣を見ても知る可し眼に一丁字もなき下等の勞役者が始めて嶋
地に渡來して無聊に苦しむ其果には賭博を試みるは申す迄もなく賤業婦の巣窟なる惡所に
も出入するは實際に免れざる所にして斯る醜怪を恣にする其間に果して喫烟の惡習に感ぜ
ざることを得べきや否や何人の想像にも明白なる可し左れば嶋民の中に苟も阿片の惡習を
存するときは第一に賤業婦に傳はり賤業婦より下等の勞役者に傳はり傳染或は兵隊巡査ま
でも及ぶの恐れなきに非ず既に内地の人民にして其毒に嬰るものあるときは次第に本國に
波及するは自然の結果にして一たび惡習を輸入すれば之を禁ずること容易の沙汰に非ず國
家百年の害を釀すものにして之を思へば實に寒心に堪へざるなり臺灣の土地を支那より得
たるは兵事上殖産上に必要なる爲めなれども其嶋民の惡習を禁ずる能はず之を内地に傳へ
て百年の害を遺すの虞ありとすれば實際の必要にも拘はらず事の輕重を比較して臺灣一嶋
の如きは甚だ輕きを覺得ざるを得ず昔し德川政府の當局者が恰も外國に強迫せられて和親
條約を結ぶに當り支那の例に鑑みて阿片の輸入を嚴禁したる一事は吾々の今に感謝する所
にして日本人が阿片の惡習に染まざりしは自から國民銘々の知識に由るとは云ふものゝ實
際に條約規定の恩惠も少なからざるに然るに今や戰勝の結果として清國より割取したる嶋
地の處分に付き阿片を公許して國内に惡習傳染の端を開くとは如何にも不甲斐なき〓にし
て德川幕府の役人に對しても顏色なき〓〓〓〓と云ふ可し伊藤總理は馬關談判の時に李鴻
章に向て臺灣受領の上は阿片の惡習の如き斷然嚴禁してお〓に〓く可しと斷言したるよし
如何なる斷言も一個人の言にして他國人に對して實行の義理はなけれども今の當局者は臺
灣に阿片を公許するも日本内地の人民には一人たりとも斷じて其毒を傳へしめずとの事を
吾々國民の面前に保證し得るや否や苟も保證し得ずとならんば如何なる手段を施しても之
を嚴禁し國家百年の害を遺さゞらんことを勉むるこそ先人に對し又後世子孫に對する當局
者の責任なる可し我輩の呉れ呉れも反省を望む所なり