「錬鐵業の計畫」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「錬鐵業の計畫」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

錬鐵業の計畫

製鐵所は既に設置に决して其官制も既に發布したればおひおひ實地に着手することならん

日本の工業は近年來著しき進歩にして紡績の如き織物の如き着々目的を達して外國にまで

も輸出するの勢あり錬鐵の事業も之と同樣にして今日の實際に於ては單に内國の需用のみ

ならず外を眺むれば支那朝鮮を始めとして印度もしくは海峽植民地の如き器械工作の業に

鐵を要するの國々少なからず日本に錬鐵を製して其品質も申分なしと云へば是等の國々に

於ては遠き歐洲の地に供給を仰ぐよりも近き日本に需むること自然の順序なれば其賣捌に

差支はある可らず斯くて一方には紡績織物等に同じく其業の隆盛を致して國の富殖を助く

る他の一方には自から軍事上の必要にも應ずる其結果は斷じて疑ふ可らず我輩の保證する

所なれども扨實際の計畫に就て利害の點を案ずるに第一は錬鐵の原料たる銑鐵の有無にし

て或は國内に産出の見込ありと云ひ或は然らず國産のみにては供給に乏しと云ひ其説區々

なれども其見込ありと云ふも單に見込のみにして現在に産出の實あるに非ず地下の鑛物、

これを發掘したる上に非ざれば實數を明言するは何人も能はざる所にして詰り推測談に過

ぎざるのみか錬鐵には種々の銑鐵を調合するの必要ありて從來の經驗に據れば或は某國産

と自國産とを取合せ或は是非とも某國産の原料に限るなど其種類の多きを要すると共に性

質の撰擇極めて肝要なりと云へば假令ひ内地に充分の産出ありとするもあらゆる種類の原

料を見出すことは到底難かる可し實際内國に原料の存することならんには無益の力を勞し

て詮索せずとも事業の成立して需用の多きを告ぐるに隨ひ自から採掘して自から供給する

に至ること疑なければ今日の塲合に於ては原料の有無の如き一切不問に付し内國外國の孰

れに拘はらず必要に應じて買入るゝの决心こそ肝要なれば工塲の位置の如きは只内外の交

通運輸に便宜の塲所を卜して着手す可きものなり又海外に技師を派遣して實地を視察せし

むる一事の如きも彼の工塲に於ては互に其技術を秘して容易に他に知らしめざるの習慣な

れば日本人などに實際を敎へ呉るゝ氣遣はある可らず僅々一二年の視察にて彼の實際を窺

ひ知るなどは到底望む可らざる所なれば是れ又無益の勞なる可し抑も歐洲にて錬鐵の業に

從事して技術熟練ともに内外の信用を博し基礎の確實なるものは英國のアムストロング獨

逸のクルツプの外、三四の製造所あるのみにして是等の工塲にて使用する錬鐵器械一式を

得れば如何なる種類の鐵材も製造に差支なく之を買入れて内地に据付け彼の技師職工を雇

入れて從事せしむる大凡その費用五六百萬圓にして各種の錬鐵意の如くならざるなく成効

必ず疑なしとは其道に通ずる人の説く所なり前に述べたる如く我國の錬鐵業は内地の必要

のみならず廣く東洋の諸國を近傍に控へて需用の前途は疑を容る可きに非ざれば苟も成効

の確なるに於ては如何なる大計畫も决して掛念するに足らず我輩は此趣向の着手を起業の

爲めに安全の方法なる可しと信ずるものなり但し事の實際に製鐵所の計畫は既に四百萬圓

餘の規模に决しておひおひ着手の手筈なれば今更ら如何ともし難きが如くなれどもいよい

よ本業に取掛るまでは凡そ二年間の猶豫もあることなれば工塲敷地の工合等は六百萬圓の

器械を据付くるも差支なき程の規模に定め今後の議會にて此業の行はるゝときは直に適用

し得るの下心こそ肝要なれ最初の間は外國の技師職工を要すれども二三年ならずして日本

人は忽ち熟練の域に達し美事に獨立の技術を見るに至らんこと我輩の慥に保證する所なり