「宗敎家大に振ふ可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「宗敎家大に振ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

宗敎家大に振ふ可し

日本の宗敎は近來とかく振はずして一般の信仰も舊の如くならざるのみか往々宗敎家にあ

るまじき擧動を演じて醜聞を外に漏らすが如き我輩の聞くに堪へざる所なり若しも此儘に

經過して自から改めざるときはますます世間の信用を失ひますます敎道の衰頽を招き遂に

は滅亡の末路を見ざるを得ず宗敎家たるものゝ猛省す可き所にして今日は正に大に奮發し

て世間の耳目を一新し自から信用を回復す可きの好機會なりと云ふ其次第は外ならず過般

の戰爭に領土を擴張し國光を宣揚したる其結果として人心自から外に向ふて海外雄飛の念、

勃々たる折抦、宗敎家も此機會に乘じて布敎の擴張を謀り熱心事に勉むるは他の信仰を得

るが爲めにも又自から維持するが爲めにも必要の手段なる可し彼の戰爭中に僧侶神官の輩

が自から從軍して戰地の危險を冐し戰死又は病死者の爲めに葬祭の式を行ひたるは何れも

其輩の篤志に出でたるに外ならざれども死者の爲めに禮を修むるは尋常一樣の事にして特

に稱賛す可きに非ず元來宗敎家の外に出づる目的は未開の土地に入り無智の蠻民を敎化し

て宗敎の德に浴せしむるこそ第一にして西洋諸國の宣敎師の如き此點に就ては身命を犠牲

に供して厭はざるものあり我輩は我宗敎家も亦かくの如くならんことを望むものなれども

斯る非常の奮發は兎も角もとして既に已に我版圖に歸して政府の政令さへも行はるゝ臺灣

の土地に未だ布敎の計畫なしとは何事ぞや聞く所に據れば彼地には外國宣敎師の入込みて

年來布敎に從事するもの少なからず繁華の市街地には何れも會堂を設立して信者も頗る多

しと云ふ臺灣の人民は本來支那人にして儒敎を尊ぶと共に佛敎を信ずること淺からず葬祭

等は儒佛混交の式にして現に僧侶の數も少なからずと云へば今我國の佛敎家が此地に布敎

を企つるは外國人が新奇の耶蘇敎を輸入するものと其難易便不便、同日の談に非ず實際に

は同じ佛門の中にて宗旨を異にするものに改宗を勸むるに過ぎざれば力を勞すること少な

くして功を奏することは必ず大なる可し又嶋民制御の點より見るも彼等の無智頑冥なる動

もすれば反抗を企てんとする其反抗は政治上の力を以て壓服せしむること容易なりと雖も

眞實心の底より彼等を歸服せしめ本國の治化に浴せしめんとするには政令の威德を以てす

るよりも寧ろ宗敎の敎化を以てするに如かず宗敎家の此際に最も勉む可き所なるに然るに

今日に至るまで曾て其計畫あるを聞かず怠慢に非ずして何ぞや日本の宗敎家にして果して

其計畫なきか本來宗敎は内外の區別を要せず實際に人心を感化せしむるの効力あるに於て

如何なる宗旨にても差支なきことなれば嶋地の布敎は必ずしも國内の宗敎家を煩はすの必

要なしと雖も是れは經世上の談にして宗敎家の身に取ては不面目この上ある可らず若しも

斯る成行もあらんにはますます世間の信仰心を失ふて其衰滅を招くの外なければ我輩は今

の宗敎家が此際大に奮發して〓〓〓つるの覺悟を决し先づ差當り臺灣の布敎より〓〓して

熱心勉強、實際の成績を擧げ識者に〓て〓世上〓宗敎の必要を認めしむると同時に一般の

耳目を〓〓〓し〓凡〓の信仰心を〓〓せしめんことを敢て勸告するものなり