「軍事公債の不始末と日本銀行」
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本文
軍事公債の不始末と日本銀行
去月中大藏省は告示して軍事公債一千萬圓を募りたるに其結果案外の不首尾にして期日に
到り應募の金額僅々百六十萬圓足らずとの事は其時の紙上に掲載したり戰勝の餘威に依り
萬事意の如く爲らざるなき政府には聊か不似合と云ふ可きものなれども實は當局者が戰爭
の當時公債募集の案外容易なりしに慣れて今日の實際に金融の如何を察するの明なかりし
が爲めならんのみ今の諸株式の相塲は金利を率として五朱以下四朱内外に當るもの少なか
らざれども公債は却て之に反して五朱利附の軍事、整理等利拂の日限も眼前に在りながら
百圓以上に上ること難くして五月に至り此利子を引去れば實際の價は全く額面以下凡そ九
十八圓の邊に在るものなり然るに政府は此邊の算數を無頓着に附して相塲外の高値に賣出
したるが故に之を買ふ者は一人も無き筈なるに尚ほ百六十萬の應募者を得たるは畢竟田舎
者の事にして金融の情勢を知らず百圓に付き二圓の損を知らざる無算當のみ扨政府に於て
此不始末を如何に始末したるやと聞けば結局公衆の應募額百六十萬圓を引去りて殘り八百
四十萬圓の内五百萬圓は政府にて引受け自から賣て自から買ふの姿にして尚ほ殘りの三百
四十萬圓は日本銀行に負擔せしめたりと云ふ日本銀行は如何なる双露盤を以て斯る相塲外
れの公債を引受けたるや之を商賣人の取引としては見る可らず百に付き二の損とあれば三
百四十萬圓に付き六萬八千圓は日本銀行の金損にして然かも其損亡の迷惑は俗に云ふ椽の
下の力持にして世間に知る者はある可らず我輩が過日の紙上に日本銀行と政府との關係を
評して親類附合と稱し商賣の取引に親類はある可らず双方共に取る者は取り拂ふものは拂
ふて全く赤の他人の附合にす可し是れぞ即ち文明商略の本色にして銀行も政府も共に利益
なりとの次第を論じたる其論説の墨痕未だ乾かざるの今日又もや銀行は六萬八千圓の大金
を人の知らざる處に投棄して親類附合の義理を全ふしたり經濟界の奇觀に非ずして何ぞや
固より親類とあれば政府も之を見殺しにすることはなかる可し何れ其中には妙案を案じ菓
子の返禮に鰹節など云ふ何か埋合の處分ある可しと雖も何分にも世間一般には其附合の内
情を知らずして双方の一擧一動都て不審の種ならざるはなし堪へ難き次第ならずや畢竟今
度の事は政府の失策より生じたることなれども人間の失策は一度に限らず今後度々此種の
不都合あらば世間の疑はいよいよ深くして政府も銀行も豫想外の困難に陷ることある可し
我輩は敢て双方の内情を摘發して樂しむ者に非ず唯天下財政の安寧を謀りて日本銀行獨立
の一義を勸告するのみ