「海軍々人の俸給」
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本文
海軍々人の俸給
海軍の擴張に就ては從來の規定に改良を要するもの少なからざる中にも軍人の俸給增加の
如きは慥に必要の一箇條なりと云ふ可し今、我海軍准士官以下の俸給を英米清三國と比較
すれば
英 百六十四磅 英 百三十七磅
上等兵曹 米 六 百 弗 機關師 米 八百八十弗
日 五百四十圓 日 五百四十圓
英 五十七磅 英 三十二磅
一等兵曹 清 二百四十兩 一等水兵 米 二百八十八弗
日 二百五十五圓 清 百二十兩
日 七十六圓
なり又將官以下の俸給を英國と比較すれば
大 將 英 千八百二十五磅 大 佐 英 六百二磅
日 八百七十六圓 日 二千四百九十六圓
なり右の比較に據れば我海軍の俸給は清國にも及ばず况して英米兩國に比するときは大な
る相違を見る可し或は西洋諸國は生活の程度高きが故に比較の限りに非ずと云はんかなれ
ども海軍の軍艦は常に外國もしくは本國の沿岸を巡航するものにして入費の一點に於いて
は東洋派遣の外國軍艦と毫も異なる所なし外國巡航の塲合は無論のことなれども例へば内
國沿岸の周航にても偏卑なる港灣に至りては一隻の軍艦の入港の爲めに物價は忽ち騰貴し
て二倍三倍の高直を拂ひ又市民歡迎等の厚意に酬ゆる爲めに艦内に饗宴を張ることあり殊
に外國軍艦が我港に碇泊するときは海軍人の交際として我は主人の資格を以て彼の士官を
接待せざる可らず其費用は何れも軍人の自辨にしてシヤパン酒盃の交換の如き我海軍士官
の俸給に於ては過分の負擔と云はざるを得ず外國士官の如きは俸給の豐なる上に多額の加
俸を受るにも拘はらず其食卓料(英露の如きは一個月百弗を費すと云ふ)及び交際費を補
ふに往々石炭又は需品購入の塲合に商店より受るコンミツシヨンを以てするは公然の秘密
なり我軍人の如く精廉實直苟も金錢を私せざるの氣風に於てはますます俸給の不足を感ぜ
ざるを得ず
又海軍の俸給を陸軍に比較するに
中 將 陸 四千圓 少 將 陸 三千百五十圓
海 同額 海 三千三百圓
大 佐 陸 二千三百四十二圓 少 佐 陸 千百五十二圓
海 二千四百九十六圓 海 千二百七十七圓
大 尉 陸 七百八圓 少 尉 陸 三百九十六圓
海 八百七十六圓 海 四百五十六圓
にして海軍に多きが如くなれども格別の相違に非ず海軍人は陸軍人の如く平生家族と同棲
の便宜もなく常に居處を轉ずるの必要あり又被服食料等の航海用品は普通のものよりも高
價なる等の事情を察すれば其俸給は割合に少なしと云はざるを得ず殊に危険の點を云へば
海軍人の平生は恰も陸軍人の戰地に在るを異ならず責任の輕重を云へば一萬何千噸の戰闘
艦に艦長として乘組員六百名を率ゐる大佐の責任は千名の士卒に長たる聯隊長に比して如
何なる相違あるや一萬噸以上の巨艦の存亡は國力に關係するのみならず艦長たる身分は其
佐官たり尉官たるを論ぜず時としては一國を代表して其處置擧動の如何は國際問題とも爲
り開戰の端緒とも爲るの塲合なきに非ず又學術の上より云へば海軍人に學術の發達を要す
るは無論にして即ち陸兵は六個月の訓練にして稍や差支なけれども水兵は二個年の後に非
ざれば用を爲さず陸軍士官は卒業後三個年にして充分の隊務に慣るれども海軍士官が艦長
の信任を得て航海中當直士官たるを得るは大尉と爲りて五年の後即ち卒業十一個年の後な
りとす勤勞の多くして報酬の少なき事實を見る可し
勤勞に割合して報酬の多きを望むは一般の人情、如何ともす可らず若しも海軍人の俸給に
して永く今日の儘なるときは有爲の軍人は次第に海軍の籍を去り他の業に就くこと自然の
勢なり或は現在のものは強ひて引止め得べしとしても後來有望の人物にして新に海軍に入
るものはなかる可し殊に今後大に注意す可き一事は今度航海奬勵法の實施に付き我航海業
は遽に振起の運に向ひ續々海外の航海を企てゝ何れも海員の不足を訴ふる其不足は即ち海
軍軍人を他に需用するの道を開きたるものにして人心、報酬の多きに向ふは恰も水の低き
に就くと一般、人々海軍の籍に入るを好まずして他に方向を轉じ軍艦はおひおひに出來す
るも乘組員に乏しきを告ぐる如き成行なしとも云ふ可らず海軍人俸給增加の必要を見る可
きなり