「大學の始末」
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時事新報に掲載された「大學の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大學の始末
大學の始末
文部省部内の更迭に大學の教員輩が關係して紛耘を釀すが如き學者の本分にあるまじきこ
とにして以ての外の擧動なり我輩の斷然排斥する所なれども其原因を尋ぬれば年來の事情
自から偶然ならざるものあるが如し抑も學問技藝は獨立の事にして時の政府の力などにて
左右す可きものに非ず而して高尚の學藝を授け又その蘊奥を研究して發達進歩に益するは
即ち大學の任務なれば國家の爲めに其獨立の必要は勿論にして一般に希望する所なれども
從來の有樣を見れば政府は大學を自家の私有物と心得て恰も官吏の養成所と爲したるの觀
なきに非ず即ち敎員の如きは夫れ夫れ官等を付して官吏同樣に待遇し又その卒業生には官
吏に任用の特權を與へて一般の學生に區別したるなど其意向の所在は自から知るに難から
ず左れば其敎員たるものも學者の本分を忘れ官吏を以て自から居るの有樣を呈したるも無
理ならぬ次第にして敎員既に斯くの如くなれば其門下生たるものも亦自から然らざるを得
ず其氣品自から低くして卒業の輩が官途の出身を唯一の目的とし續々入門して官庭に〓
(こう・白+干に羽)翔したるは政府の部内に大學派など云ふ稱呼を生じて一種の團結を
成したるにても知る可し其職を求むるが爲めに官に入ると然らざるとは銘々の自由にして
差支なけれども兎に角に大學の全體が純然たる官風を帶び恰も俗政府の出店と爲りて其間
に自から俗臭の腥きは實際の事實なり文部々内の更迭談などにも出店の俗輩が云々するが
如き畢竟右の事情より生じたる必然の結果にして今更ら怪しむに足らざれども斯くの如き
は學問獨立の道に非ず國家の爲めに謀りて斷じて取らざる所なれば大學は眞實學問技藝専
門の學校として獨立せしむるこそ必要なる可し本來獨立とあれば自から基本金を具へて維
持法の如きも全く政府の手を離るゝこと肝要なれども目下の實際に其邊までの斷行は尚ほ
容易ならずとあれば經濟の一點は從來のまゝとして姑らく他日を期し其組織に一變を加へ
て校長敎員を政府にて敍任することを止めにして大學ないの事は一切その自治に一任せし
む可し眞成の獨立には非ざれども自から其端を開くものにして斯くの如くするときは敎員
の輩も自から學者の分に安んじて政府の關係を離るゝと共に校内一般の氣風も隨て一新す
ることならん大學の輩も學問獨立の必要を認めて其本分を盡さんとならば今回の如き俗事
に頓着することを止めて大學獨立の端緒を開くことに盡力す可し若しも然らざるに於ては
ますます學者の品位を損すると共に大學の信用もいよいよ地に落ちざるを得ず大學の存亡
は我輩の關せざる所なれども學問獨立の一事に至りては默々に付するを得ず一言敢て勸告
する所なり
扨又文部省の一方は如何と云ふに本來政府が學問技藝の事に干渉するは大間違ひにして是
れまでは全く餘計のお世話を演じたることなれば大學その他高等專門の學校の如きは只會
計上の世話に止め一切手を離して其自由に一任せしむ可し斯くの如くするときは文部省の
仕事は皆無と爲りて無用の長物に歸す可し或は廢止するも差支なきが如くなれども普通敎
育即ち小學校の事は本來政府に於て干渉すべき性質のものなれば國家事業として大に其實
を擧げんとするには政府の力を要す可きもの甚だ少なからざるのみか其他敎育上に視る可
きもの尚ほ多々なれば眞實責任を盡さしめんとするは自から之を存するの必要ある可し我
輩は敢て遽に其廢止を唱へず只餘計の事を止めにして充分に其本職を全うせんことを望む
のみ
露兵傭聘の議に就て
朝鮮政府にては今度兵隊訓練の名を以て露國の士官兵卒合せて百六十餘名を傭聘するの契
約を結ぶの議を生じて既に决したりとも云ひ又は未だ决せずとも云ふ目下京城には兵隊訓
練の爲めに傭聘したる露國の士官二十名ほどもあるよし果して實際の必要とあれば其二十
名を增して何名と爲すも差支なきが如くなれども訓練の敎師に百六十餘の多數を聘して然
かも各地方にまで分遣す可しとは如何なる必要あるや既に日露協商の議定書には外援に〓
らずして云々の個條さへあるに斯る多數の外國聘を傭聘するは穩當の處置とは認む可らざ
るに似たり尤も右の議には彼の政府の部内にも反對の説あるよしなれば果して行はるゝや
否や知る可らず或はいよいよ議决して契約を結ばんとするも露國政府に於て果して承諾す
るや否や是れ又知る可らず抑も朝鮮政府に於て斯る議を生ずるに至りし其内情は自から他
國の事にして推測の限りに非ざれば姑く擱き若しもいよいよ議决して露國に紹會するに至
らんか日露の間には協商の條約ありて朝鮮軍隊の組織に就ては外援に藉らずして云々の明
文も存することなれば或は他の見解に於て訓練の爲めに軍人を假すは其明文に差支なしと
認むるも協商本來の精神より一應は日本政府の代表者に紹會して同意を求むるこそ事の躰
を得たるものなる可し如何となれば彼の協商の公文に明記したる個條は僅々數項に過ぎざ
れども何れも双方和親の精神に出たるものにして殊に其末文には尚ほ一層精密詳細の定義
を要するか又は後日に至り商議を要す可き事項の生じたるときは友誼的に妥協すべし云々
と規定したることなれば若しも今回の如き事抦にして一方の承諾なしに行はるゝこともあ
らんには協商の精神は遂に求む可らざるに至るの恐れなきに非さればなり我輩は本來彼の
公文に重きを置かざるものなれども既に其明文の存する限り又双方友誼の繼續する限りは
其精神に從て事を處理するの必要を認めざるを得ず傭聘云々果して事實ならんには我輩は
外交の當局者が此間に處して協商の精神を全うせんことを希望するものなり