「新法律と舊道德」
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本文
新法律と舊道德
階級制度は封建制度と共に去り族長制度は世祿の制と共に廢り家族を本位として無限の服
從を主義としたる社會組織は日夜に廢頽するに方りては國民道德も亦之に伴ふて變化せざ
る可らずとは我輩多年の宿論なりしが今や民法發布の一事は國民道德變遷の急を報ずる曉
鐘たるものゝ如し抑も民法の發布せらるゝ迄には種々なる變遷ありて初は法典編纂の時期
尚ほ早しとの反對論あり次には法典の主義西洋流にして日本の國風に合せずとの反對論あ
りて修正の上にも修正を加へたるものにして今日に於ては日本固有の風俗習慣を基とする
は勿論佛國派、獨逸派、英國派の意見も參酌せられたれば最早や何れの法典を標準とした
りと云ふ能はず純然たる日本法典なるが最も注目すべきは其親子兄弟夫婦間の權利義務を
規定したる一事にして日本從來の法律に於て存せざるものを加へたりとせば是等の點にあ
ることなるべし勿論民法制定者の本意は必ず之を以て家庭人倫の間抦を法律上の關係に一
變せしめんとするものに非ずして唯萬一の事ありし時に從來の如く尊長のみを直是とし一
般の家人を凡べて曲非とすることなく苟も直是のある所は一般の家人と雖も尊長に對して
之を保護するの意を示したるものに過ぎざる可しと雖も其實行の結果として國民の道徳思
想を刺激して一大變動を生ぜずんば已まざることなる可し其變動の來る十年の後か二十年
の後か或は又五十年の後か之を豫言す可らずと雖も法律は習慣を作り習慣は感情を作り感
情は良心を慣れしめ國民道德の面目を一變す可きや疑なきが如し
右は民法施行の結果として國民道德に變動を來たす可き自然の勢を述べたるものなれども
一歩を進めて論ぜんに國民道德の變動を來たす可きこと自然の勢なりと知らば手を拱きて
其變動の來るを待たんよりは寧ろ自〓〓〓〓〓國民道德を變革して自然の勢を助け〓十年
の〓、道德と法律との不〓〓に挾まれて罪人となるも〓〓〓〓〓〓識者の本分に〓〓るか
抑も從來日本道德〓〓〓〓る全く階級制度の産物にして服從を以て主とし如何なる事にて
も尊長には抗す可らず如何なる曲非も子弟家人は之を忍ばざる可らずとしたるものにして
其之を運用する道義感情は固より人性に普通自然の感情にして何れに施すとして可ならざ
ることなしと雖も其方式は殆んど今日の如き時代に行ふ可らざるもの多し然るに今回の民
法に至りては其編纂の方法、文字の難易等に至りては兎角の議論少なからずと雖も其精神
に至りては全く近世の精神に出づる者にして家庭の間に於ても亦個人の存在を識認して是
を是とし非を非とするに於ては尊長と子弟の別なきが故に愈々之を實行するの曉に於ては
直ちに舊道德と相衝突するを免れずして新民法の保護を受けて其是直を保たんと欲するも
のは直ちに道德上の罪人となり道德を守らんとすれば法律遵ふに足らずとし法律を守らん
とすれば道德從ふに足らずとする紀綱紛亂の状を呈することある可し此に至りては舊道德
を改革して新法律と相副はしむるか新法律を廢して舊道德に從はしむるか二者の外に策な
き次第なるが無限の服從、無極の犠牲を以て主とせる舊道德は獨り新民法の精神と添はざ
るのみならず社會人文の發達とは到底相合せずして事々物々新社會の趨勢と衝突するもの
なるを顧れば此際寧ろ舊道德の經緯を變革して新社會の精神に添はしめ道德と法律と其軌
範を同うし大體に於ては道德の罪人は法律も之を容れず法律の罪人は道德も之を容れざら
しむるこそ社會の安康を保つ所以なる可し
勿論斯る問題は往々誤解を招き易きものなれば我輩の所論を能く能く翫味せざるものは直
ちに我輩を以て道德を否定して人倫を蔑するものゝ如く思ふ人もある可けれども决して然
らず道義感情は人間通有の感情にして人獸の別比に存するものなれば我輩は益す其醇化、
進歩を望むものにして毫も之を破壞せんことを欲するものに非ず畢竟舊道德の終に行はる
可からざるを知りつゝ一層の上德を求めずして盲從の下德を強行せんとするこそ却て道德
を破壞するものと云ふ可し我輩が國民道德を變革して民法を生じたる新社會の精神に副は
しむ可しと云ふものは家人父子をして法律を楯として相爭はしむ可しと云ふに非ず苟も父
兄尊重にして道德の經緯已に一變して子弟家人に對するも無限の服從を望む可らざるを知
て自ら斟酌する所あらしめんには家庭の間に於ては民法殆んど無用となる可し我輩の期望
する所此に外ならずと知る可し