「國勢觀察の謬見」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國勢觀察の謬見」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國勢觀察の謬見

四千萬人の日本は如何にして四億萬人の支那に打ち勝ちたるか是れ歐米の士人が今尚ほ判

斷に苦しむ所にして種々牽強附會なる説を作したれども滿足せざるにや日本人自ら之を説

明せんことを望む者少なからず然るに日本人が之に對して如何なる説明を爲すかを見るに

全く忠君愛國の情に基くものなりとなし極めて單純なる思想を以て輕々に説き去らんとす

るものあるが如し國民は戰爭の外、多を軍人に望む者に非ざれば軍人が單に軍營の事情を

見て斯く斷言するは敢て怪しむに足らず隨て一般の凡俗が之に雷同するも亦必ずしも尤む

るに足らざれども獨り士流學者を以て自から任ずる輩が同樣の筆法に傚ひ單純なる思想を

以て複雑極りなき國勢を判斷せんとするに至りては大に驚かざるを得ず况んや敎育家など

が斯る淺墓なる判斷を前提として國民敎育の方針を定めんとするが如き果して眞面目の沙

汰なるか我輩の聞て呆るゝ所なり抑も日本國の勝利が果して忠君愛國の至情に基きしや否

やは姑く別論として擱き事の眞相を説明するに一二の原因を重く見て他の原因は殆ど數ふ

るに足らざるものゝ如く若しくは全く存せざるが如くに論ずるは决して論理の許さゞる所

なり例へば茲に德行高く智慮秀でたる一人の成功者ありとせんに彼は孔、孟、耶、佛の敎

を守りて其品性を陶冶したる事もあらんなれども之が傳記を作らんとする者は是等の見る

べき原因の外、更らに其人の師事する所の人物、交友、讀書の嗜好、文學上の好惡等をも

觀察し一方に於ては彼をして不德を爲すの要なからしめたる衣食住の滿足、郷里の尊敬等

をも觀察し更らに彼を生じたる時代の氣風を觀察して之を判斷せざる可らず海中の沙石は

一として風濤の感化を蒙らざるはなく人は一人として社會の感化を蒙らざるはなし然るに

其社會なるものは獨り忠君愛國の作りし社會にも非ざれば獨り宗敎の作りし社會にも非ず

獨り學問の作りし社會にも非ざれば獨り敎育の作りし社會にも非ず人生の慾望のあらゆる

ものが集て織り出せる織物の如きものなれば已に社會の感化を蒙りたりと云ふ以上は社會

の要素たるものゝ凡ての爲めに感化せられたるに外ならず右は一個人が社會に於ける地位

につきて立論したるものなれども國民につきて云ふも亦同一の推論を爲すを得べし畢竟人

身は各種の原素の化合したるものなるが如く國民の性質も亦學問、歴史、衣食住、天然、

宗敎、工藝、農商業等が化合したる産物なれば漫に重きを一原素に置かんとするは政治若

しくは德敎を偏信して社會一切の動機なるかの如く論ずる支那儒流の見に過ぎざるなり

右の如く一國民の状態は一二の原因のみに歸すべからずして國民を組織する凡べての要素

の總合したる結果なりと知らば支那征伐の勝利を以て單に忠君愛國の情に歸し去るが如き

は單純幼稚なる推論に外ならず〓〓〓〓〓維新の革命の如きも狂熱したる當時の壯士の〓

〓〓〓忠君愛國〓〓〓〓の光焔を吐きたるが如く〓〓〓〓ならんなれども〓〓〓〓の眼よ

り之を見れば〓〓〓〓の凡ての要〓が〓〓したる結果として自然に〓〓の改革を致したる

ものゝみ彼の德川家康公の手によりて建てられし政府も五大將軍の頃より次第に其力を失

ひ六代に至りて一時中興の色を呈したれども七代八代に及んでは又大に収縮し町人の實力

發達して都府と田舎との懸隔を生じ富の勢力、進歩して武力門地を凌ぎ交通の發達により

て天險の間隔を破り學問の發達によりて古風の一徹氣質を矯正し生活の進歩によりて町人

と武士とを接近せしめ殊に洋學の勢力は隱然社會を動かして遂に徳川政府を倒し維新の改

革となりしものなれば勤王攘夷の運動なしと雖も德川の天下は到底破滅を免れざりしもの

なり維新革命の次第已に此の如くにして單に忠愛の情のみに歸す可らざるの事實を知らば

今日眼前の問題も亦解釋に難からざる可し支那征伐の勝利は軍人は勿論一般國民の忠勇武

烈、與て大に力あるに相違なしと雖も若しも交通、運輸、兵器、資金等の諸機關にして其

一を欠くことあらんには彼が如き好成蹟は覺束なかりしならん例へば兵站線にして整備せ

ざらんには遼東の野に轉戰したる十萬の將士は或は光榮を擔ふて歸る能はざりしやも知る

べからず國内の産業にして發達せざりしならんには兵站線ありと雖も將士に食はしむるに

何物を以てせんとするか國内の交通に不便を極め南北の兩端相通ずるに一個月を要する昔

時ならしめば假令ひ産業發達の實ありと雖も之を外戰の用に供せしむる能はざりしなる可

し忠愛の情勝利の一原因たりしこと疑なしとするも以上の諸原因に勝りて特に有力なりし

とは斷定す可らず况んや其忠愛の情とても亦等しく社會進歩の結果に外ならずして例へば

徴兵令によりて全國の人民をして護國の任に當らしむるに非ずんば自から國事に當りて國

の爲めに死するの决心果して况の如くなりしを得ざる可く又人民をして一樣に撰擧權を有

し國政に關して各々言はんと欲する所を言ひ國家に對しては己れも亦一株の權利ありと信

ぜしむるに非ずんば愛國の念今日の如くなるを得ざる可し時勢已に前日に異なり人心亦前

日の如くならざれば唯強ひて國の爲めに盡くせと云ふも人民は决して之に服せざる可し畢

竟今日の愛國心なるものも亦社會發達の結果に外ならずと知る可きのみ又忠君の情とても

同樣にして今日に至ては皇室の尊榮二千五百年來未だ曾てあらざる所、一人の之に對して

異志あるものなし其次第は昔しの時代に於ては動もすれば皇室を以て一二の族黨、宗派の

孤柱として一般人民の幸福を犠牲とすることも少なからざりしに社會の發達に從て皇室は

全國民の利害感情の總合調和したる基礎の上に立たざる可らざるものなるを知るに至りて

尊榮の念も亦一入深かる可きは自然の勢なればなり或は明治の改革を王政復古と唱へたれ

ども實際は復古どころの沙汰に非ず皇室の隆盛前古無比にして從來に見る可らざるものを

見たることなれば王權擴張と云ふこそ適當なる可し畢竟忠君の情も愛國の心と同じく社會

人文の發達に伴ふて此に至りたるものにして等しく忠君愛國と云ふも古流敎育家の言ふ所

と今日國民の眞實に思ふ所とは全く性質を異にするものなるを知らざる可らず

左れば心識單純の論者が勝利の原因なりと稱する所の忠君愛國の情は畢竟社會進歩の結果

として生じたるものにして殊に此に勝りたる勢あるものに非ざるを見るべし而して社會の

進歩は如何にして得らるゝかと云ふに决して一二の原因のみの能く動かし得る所に非ずし

て各種の原因、勢力の化合したる結果に外ならざれば戰後の敎育とて別に新奇なる明案も

ある可き筈なし唯人間のあらゆる能力を研磨して人類としては前代の歴史に締くゝりを附

けて將に來らんとする時代に文明の光を遺すに足り個人としては社會に相應の寄附を爲し

て國家の厄介とならざるを期し國民としては獨立を維持して國家成立の實を全ふし國家の

力によりて世界の進運に強力なる寄附を爲するに在るのみ