「富豪と社會事業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「富豪と社會事業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

富豪と社會事業

近年歐洲の諸國に於ては社會黨共産黨の論勢頗る盛なるの有樣なるより我國の論客中にも

或は其顰に傚ひ富豪を攻撃して暗に社會黨風の感情を燃やさんと企つるものもあるが如く

なれども我輩は日本現時の富豪を以て决して個人の利益を掠めて國家を弱むるものとな

さゞるのみならず富豪の如き大なる柱梁ありて初めて國家を支へ得るものなるを信じ其數

の益々多くして其財力の愈々大ならんことを祈るものなり例へば先回の支那征伐の如き時

に方りて眞先に軍事公債の募集に應じ全國の資本家をして響の如くに應ぜしめたるものは

何人の力なりやと云ふに論者が攻撃する所の富豪の卒先奮發に外ならざるを知らば立國の

要素として富豪の欠く可らざる所以を悟るに足る可し去りながら飜て一般の人情より觀察

すれば富者と貧者と互に相嫉視するは恰も民間の政客が在朝者を攻撃するが如く其形こそ

種々に異なれども無を以て有を攻むるは社會何れの局部にも免れざる現象にして已足利時

代には德政と唱へて富豪の貸金を取り消さしめたるが如き又德川時代には貧民が徒黨して

一揆打壞しの騒動を演じたること珍らしからず日本人民决して無限に不平怨惡の情を忍ぶ

ものに非ざるを見る可し況んや近代の傾向は兎角貧富の爭は益々激しきものと覺悟せざる

可からず勿論貧民の富豪攻撃は不理窟千萬にして一點の取る可きものあるに非ずと雖も兎

に角に實際に其事實を見んとする上は富豪たるものは理非の辨別は偖ておき先づ民心を緩

和するの法を講ずること得策なる可し然らば其緩和の法は如何と云ふに貧民を救助して其

處を得せしむるが如きは最も妙なれども社會の貧民は限なくして富豪の財産には限あり限

あるものを以て限なきものを救はんとするは數の許さゞる所なれば其目的を達するには社

會公共の事業に向つて金錢勞力を投ずるこそ最も捷徑なる可し此點に於ては貧富軋轢の辛

苦を實驗したる歐米富豪の先例こそ我富豪の學ぶ可き所なる可し今米國の富豪家が公共事

業に財産を投じたる一斑を掲げんに左の如し

 二千萬弗     スタンフオード大學へ           スタンフオード氏

 六百萬弗     敎育費として                 ビーボデー氏

 四百五十萬弗   シカゴ大學へ               ロツクフエニア氏

 三百十四萬弗   ジヨンスホプキンス大學へ       ジヨンスホプキンス氏

 三百萬弗     敎育費として             フニヤーウヰーザア氏

 三百萬弗     レハイ大學へ                 バツカード氏

 二百萬弗     ボストン大學へ            アイザツク、リツチ氏

 一百五十萬弗   プリンストン大學へ               グリーン氏

 一百萬弗     ヴアダヴヰルト大學            ヴアダブヰルト氏

 八十萬弗     バツサル婦人高等學校へ             バツサル氏

 六十萬弗     アデルベルト大學へ               ストーン氏

 四十五萬弗    ウヰスレアン大學へ                セ子ー氏

右は唯其一斑を掲げたる者なれども之によりて米國の富豪が如何に社會事業を重ずるかを

知るを得べし勿論以上の義捐必しも眞正の慈善心に出でざる者もある可しと雖も其心術の

如何は問ふを須ひず既に慈善の形跡あらば即ち慈善に外ならずして富豪が貧民の不平怨恨

を緩和する方便としては毫に差支ある可らず我輩は富豪家の財産の多々益々多からんこと

を望むと同時に公共事業に其幾分を散じて社會の温かき人情を樂しむの必要なるを信ずる

ものなり