「社會榮辱の權」
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時事新報に掲載された「社會榮辱の權」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
社會榮辱の權
近年來人民自治の議論盛にして一世を擧て之に靡き文明の士人としては苟にも自治を難ず
可らざるが如き勢あるは世運漸く屈從主義を根本より覆さんとするを證するものにして我
輩の私に賀する所なりと雖も自治とは市町村の自治もしくは郡區長公撰などの事に止まる
者にあらず社會をして無用なる國家の干渉を免れしめ社會自ら社會を治むるこそ自治の最
大なるものなるに然るに斯る最大の自治は實際に行はれずして社會は寧ろ國家の權力に壓
倒せらるゝのみならず世間に是種の自治の實行を論ずるものさへ殆んど絶無なるは我輩の
深く遺憾とする所なり抑も國家は一個人の多數集合したるものに過ぎざるが如くなれども
其實は一個人が直に國家を組織するものに非ずして家を組織し郡區町村の如き團體を組織
し社會を組織して而して後に國家を爲すものなれども此中最も堅固有力なるは社會にして
個人は時として死す可し郡區は時として變ず可し國家は時として亡ぶ可しと雖も社會に至
ては永遠無窮なるものなれば町村及び個人にして其自治すべき事を自治するの權ありとす
れば社會も亦自治す可き範圍内に於て自治するの權あり毎事國家より無用の干渉を受けざ
らしめんことを期す可きのみ譬へば國家の生存に最も必要なるは賞罰の權を自から國家に
取るの一事に在るが如く社會生存の最要條件は社會榮辱の權を社會自から掌握するに在る
は爭ふ可らざるの道理なるに世間の自治論者が汲々として町村都邑の自治を主張しながら
社會の名譽を表し社會の刑罰を表するの權すらも一に國家に委任して社會自から其權を使
用せざるは何故ぞや英國の大都名邑に於ては時の大宰相若しくは大政治家等に對し市の自
由權を與へて其人物を表彰することあり即ち純然たる社會榮辱の權を國家以外に揮ふもの
に外ならず或は又市民が或る人物の爲めに隊を作りて行列を催ほし又時としては結社團體
より物品、金牌などを贈るが如き何れも社會が國家以外に榮辱の權を取るの實を示すもの
に非ざるはなし斯くの如き社會に在りては人物の眞價を識認して其天職を尊重し假令ひ國
家より爵位勲等の榮譽を授けざるも社會は之と同一の待遇を與ふるに躊躇せず彼のジスレ
リーが英國首相の聲望を以てカアライルと大學總長の地位を競爭して得る能はざりしが如
き爵位勲等も人物の眞價に及ばざるの事實を證明して餘りあり東洋流に之を評すれば天爵
と人爵の別を明に表したるものと云ふ可し然るに人爵の尊なしと雖も自から天爵の尊あり
など唱ふる所の東洋人は却て人爵崇拜の殘夢より醒むる能はずして一たび政府の大臣たり
し者に非ずんば政黨の首領たる能はず政府の高等官たりし者に非ずんば會社の重役たる能
はず爵位勲章を有せしものに非ずんば社會上の集會に於ても威張ること能はず社會自から
榮辱の權を取るの一事に至ては形影だも見る能はずとは自から唱ふる所の自治論に對して
も恥づ可き次第ならずや此事たる滔々たる世間の凡俗に向ては酷に責む可らざるものあり
と雖も稱して學者、士君子と云ふ者にして猶ほ大臣を推し、高官を推し、華族を推し一代
の縉紳先生も役人の前には小吏下人の如くに恐縮するとは沙汰の限りと云ふ可し昔し藤原
の惺窩が初めて宋學を唱へて文敎を起さんとするや德川家康たまたま惺窩の講席にありて
禮なかりしに惺窩之を責めて學問を聽くの道に非ずと云ひしかば家康も襟を正して禮を修
めたりと云ふ今日の學者は自から見ること何ぞ其低きや社會榮辱の權は國家を離れて社會
自ら之を行はざる可らず我輩は先づ學者士流の人々が自から人爵崇拜の舊弊を一掃せんこ
とを勸告するものなり