「西伯利鐵道効力の半面」
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本文
西伯利鐵道効力の半面
西伯利鐵道と云へば世人は直ちに百萬のコッサツク兵が轡を並べて東に下るを想像するの
みにして其東洋貿易に及ぼす影響を論ずるものに至りては寥々として聞えざるは我輩の甚
だ遺憾に思ふ所なり凡そ如何なる國民と雖も已に衣食住の三者を必要とする以上は决して
經濟上の法則を等閑にせずして一擧一動冥々の中に平和神の命令に從はざるを得ず十字軍
の成功せざりしは其原因は經濟上の法則に背くが爲めに外ならず豐太閤征明の志を遂げざ
りしも内國の人員と資力とに不足を感じたるか爲めのみ或は羅馬帝國の滅亡すらも金銀本
位の處置に於て誤謬ありしが爲めなりと云ふものあり如何なる國民と雖も武力一偏以て能
く自から立つ者あるを聞かず必ず經濟上の原則に支配せらるゝを常とす此言果して眞實な
らんには我國民も亦决して西伯利鐵道を片側より觀察して他の武力のみを見ることなく更
らに眼を轉じて其經濟上の趨勢に重きを置き平和交通の新利器を利用して東西貿易の道を
開き自利利他相互に天與の幸福に浴するの法を講ずるこそ策の得たるものなれ聞く所に據
れば西伯利鐵道完成の上は浦鹽斯德モスコー間の距離は九千八十五露里にして急行列車に
依れば七日と十四時間を以て達す可く急行ならざるも倫敦と長崎との間は十七日にして旅
行し得べしと云ふ然るに現今の交通法を見るに倫敦日本間の直航は三十八日を要し英國よ
り加奈陀に渡り太平洋を超えて日本に至るには二十八日を費す可し兩者を比較して十一日
乃至十五日の相違なり或は英國の商賈も西伯利鐵道を以て英國商權の一大勁敵と信ずるが
故に今や加奈陀鐵道を增加改良し倫敦よりクエベツク、ハリファツクス セントジヨン等
に至る交通を頻繁にせんとし一方には急航汽船を增加して西伯利鐵道と競爭せんとする最
中なれば日英間の航海日數は多少減ずることある可しと雖も其最短日數に達するも猶ほ二
十三日を要するを免れざれば(クエベツクとリバプールの間五日半、ヴァンクウバア、ク
エベツク間四日、横濱ヴァンクウバア間十日、上海橫濱間三日半として)到底、速力に於
ては西伯利鐵道に敵する能はざるや明白の次第なり之に加ふるに鐵道によればモスコー、
浦鹽斯德間の賃銀は上等二百廿六マルク餘下等九十マルク餘内外なりと云へば賃銀の點に
於ても到底、鐵道の廉なるに如かざるなり唯此鐵道に不便利なるは沿道の山水宿驛、單調
にして變化なきと民俗野蠻にして殺風景なるとに在りと雖も利のある所人乃ち之に歸する
の習なれば西伯利鐵道は獨り露國の武力を東方に集むるの用たるのみならず亦世界の商業
を北方に誘ふの一大利器たる可きや疑を容れざるなり故に我輩は我國の商賈が益す此事勢
を利用して商業上に於ける鐵道の便利を增加せしめ浦鹽斯德をして單に軍港たるに止まら
ず一大商港たらしめ一旦兵禍あらば露國及び北歐が之がために蒙むる所の損害は實に堪ふ
可らざるものとならしめんことを欲するものなり
抑も商業上の版圖の廣きは英國の利益なると共に其大弱點にして東方に商業上の關係薄く
商業上の要地なきは露國の欠點にして自から又其長所たり何となれば英國は商業の手廣き
がため至る所に勢力を樹立するの便あれども之と同時に一旦事あらば防護せざる可らざる
要地多きがため國力を徒費散漫ならしむるの恐あるに引き替へて露國は貿易上の勢力少な
き代りには何處を攻撃せらるゝも死命を制せらるゝの憂なく何時も他國は頭を出し手を伸
ばして攻め來るに露國のみは臑を以て待遇ふの風ありて浦鹽斯德の如きも萬一事ありて他
國より攻撃するも今日の儘にては唯是れ絶東の一寒邑、全く之を破壞したりとて細針以て
大象の臀邊を突くが如くならんのみ殆んど痛痒を感ぜしむるに足らずと雖も前節に云へる
が如く彼の新鐵道成就の上に貿易運輸發達して幾千萬の富を蓄ふるの地とならば其地の占
領は以て大なる痛苦を與ふべくして運輸の中止は以て貿易を中止せしむべければ露國の亞
細亞省のみは如何に平氣にて濟まさんとするも一國の大勢は决して之を其儘に放任せざる
べきが故に西伯利鐵道は一方に於ては露國の武威を增すことなれども一方に於ては亦平和
の擔保とならんこと必然なりと云ふ可し故に我輩は此鐵道の速に發達して露國の商業が益
す隆昌を加へ恰も英國が商業の廣大によりて却て自から制せらるゝが如くなるの日速に來
らんことを望み且つ我商人も此勢を助成して新に商利を利せんことを勸告するものなり