「航海奬勵法」
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本文
航海奬勵法
東京日々新聞は我輩が去る二十四、二十五兩日の紙上に掲げたる奬勵法の實施に付き造船
規定云々の説に對して長々しく辯ずる所あり專ら當局者辯護の精神に出でたるものならん
なれども其文勢日々得意の筆法に似ず恰も獨り自から愚痴をこぼすが如く自問自答の間に
思はず眞情を吐露して當局者の窮態を白状したるこそ是非なけれ日々の言に據れば當局者
が當半年間の保護金を二十八萬餘圓と見積りたるは奬勵法の規定に合格する船舶を先づ二
十七八隻として打算したるものなりと云へり即ち其二十七八隻とは該法草案の當時現在の
ものに外ならず既に奬勵を行はんとしながら現在の數に由て打算するとは何事ぞや若しも
奬勵の精神にして單に現在の船舶のみを保護して其他に及ばずとあれば夫れ迄なれども斯
くては奬勵の實を得たるものとは云ふ可らず苟も日本の航海業を保護して大に外國の航海
を奬勵し實際に效能あらしめんとならば船舶の增加は必然の結果にして當局者の心算中に
は是非とも其增加を見込まざるを得ず如何となれば法の奬勵に應じて新に船を造り外航を
企つるものあるも奬勵金は恰も他に先取せられて其恩澤を受ること能はずとあれば實際に
法を設けざると同樣なればなり然るに當局者が自から法を艸しながら奬勵の金を受るもの
は當時現在の船舶に限ると豫算したるは即ち事の大本より誤りたるものにして今更ら狼狽
も怪しむに足らざるなり日々又曰く我國人が當然得らる可き運賃にして外國船舶の爲めに
占められつゝある金額は實に二千百七十餘萬圓の巨額なり當局者の信ずる所に據れば其二
千餘萬圓の〓〓を我に〓復せんにも今の豫算の六十萬圓を十倍して〓〓〓〓を〓年〓〓金
に〓するの覺悟なかる可らず〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓先〓〓圓の運賃を収め〓る〓〓〓〓
〓〓〓〓〓〓〓易に必要の線路にして航海奬勵とは斯る線路を内國船にて回復するは勿論、
更らに進んで新線路をも開かしむるの精神に非ざるか一般の國民は法の精神此に在りと見
たるのみならず其回復擴張を實際の必要と認めなればこそ續々發起して奮て目的を達せん
とすることなれ即ち目下の有樣にて進むときは其保護奬勵に千萬圓以上の支出も計る可ら
ざるの勢を呈したる次第なるに當局者の心膽甚だ小にして本來の計畫は單に現在二十七八
隻の船舶を見るに過ぎず六百萬圓の支出さへ其要求に應じ得るや否やを掛念する始末なれ
ば千萬圓などとは今日に至るまで夢にも考へざる處にして其驚きも無理ならず今更ら事の
意外に打たれて狼狽周章の状態は日々記者が躍起となりて當局者の爲めに辯護する其文中
に當局者が豫想外の盛運に一驚を喫したるも亦事實なり、現在當局者が事業の勃興に聊か
案外の感をなし財政の當局亦これに對する將來の措畫に付き苦しむ所ありと記し更らに進
んで其保護の程度に付き財政當局者は頻りに苦慮する所ありと白状したるを見て明白なる
可し之に由て察すれば世間の説に法の立案者たる遞信省は豫想外の盛運に心算全く齟齬し
てハタと當惑の其處へ財政の當局なる大藏省よりは千萬圓以上にも垂んとする奬勵金は如
何にして支出する積りなるや最初の話とは全く相違の次第にして財政の當局者に於ては到
底支出の見込なしなど突込まれて狼狽周章、策の出る所を知らず窮餘の窮策、造船規定に
合格云々の箇條を幸に其規程を殊更ら面倒にして成る可く合格の船舶を少なくせんとの魂
膽ありしと云ふも強ち無根とは見る可らず否な我輩は現に政府にて其規程を面倒にして
種々の制限を設けんとする中にも二重底云々の一項ありとの説を聞きたるが故に其不都合
を論じたることなり日々は此事に關し其筋に於ては遠洋航海には必ず二重底に限らざる可
らざるか否、何噸以上は二重底にせざる可らずと噸數に依り規定す可きか否、又一切是等
の制限を設くるの要なきか否に付き詮議あるも未だ何れとも歸着し居らずと云ふと辯じた
り果して然らば政府に二重底云々の議ありしは事實にして未だ何れとも歸着し居らざれば
こそ我輩も辯論を費して當局者の注意を喚起したる次第なれ又日々は二重底の事に就て我
輩の言を非難したれども日々の見解の如くなれば二重底とは如何なるものなるや殆んど解
す可らず我輩の聞く所に據れば當局者は面倒至極の制限を設け郵船會社の船にて云へば例
へば土佐丸の如き完全のものに非ざれば合格せしめずとの説あるよしに付き是れが果して
事實ならんには實際に合格を得る船舶はなきに至る可しと論じたることなるに然るに日々
が現に船籍に據て取調べたりと云ふ其船籍とは如何なる船籍なるや知らざれども郵船會社
の持船中にて所謂部分二重底のものは勿論、北海、越後、伊勢の如き極めて不完全のもの
若しくは實際に部分二重底とも見る可らざるものまでも之を全通二重底と見做して其間に
區別を云はず當局者の所謂二重底にして斯る程度の制限ならんには我輩に於ては敢て異論
なきのみか實際に然らんことを望むものなれども斯くの如くなれば寧ろ初めより制限を置
かざるに若かざるなり日々が如何に保護金を吝しめばとて故らに世間不通用の程度にまで
〓〓なる規程を設くることは到底爲し得ざる可き(爲し得べきの誤りならん)に非ずと云
ふを見れば當局者も自から悟りて今は制限説を止めたるものか果して然らば大に祝す可き
のみ要するに日々の辯論は自から當局者が窮困の内情を天下に表白して寧ろ我輩の所論の
事實に適切なるを實際に證明したるに過ぎず此一事は聊か謝する所なり
日々は我輩に對する辯論を右に止めて更らに法文中外國人云々の規定に就て當局者の意見
を説明し更らに又奬勵法に關する自家の希望として述ぶる所あり序ながら之に對する我輩
の所見を陳じて其不都合を辯ぜんに日々曰く奬勵法第九條に遞信大臣の許可を受くるに非
ざれば外國人を其本支店の事務員若くは該船舶の職員と爲すことを得ずとあり是れは乘組
員なれば資格取調の必要あり又事務員ならば其身分來歴を取調べ乘組員として無資格のも
の又事務員としては曾て惡事を爲し若しくは過誤失錯ありしものゝ外は許可する精神なれ
ば雇主の爲めには便宜こそあれ些かの不便不利もなしと説明したれども此一條は航海業者
の爲めに最も不都合の規定にして其適用の手心如何に由りては實際に非常の影響なきを得
ず内國人と外國人とを比較して伎倆の點は兎も角も外國航海の船舶に彼の乘組員なきとき
は外國人の間には兎角信用薄くして積荷を托するもの少なきは勿論、彼の保険會社に於て
は保険を受合はざるの常なり營業の不利益この上ある可らずと雖も假りに一歩を讓り其不
利益は尚ほ我慢するものとしても爰に如何ともす可らざるは實際日本人の船員に乏しき一
事なり彼の日清戰爭の如き國家の大事にして苟も外國人の手を假る可らざるの塲合なれど
も運送船の如き何分にも乘組員に乏しきを告げて實際の必要止むを得ず郵船會社の御用船
などには現に外國人を使用したるに非ずや况んや今後航海の發達して船舶の增加は戰時の
比に非ず乘組員のますます欠乏を訴ふるは數の明白なる處にして若しも外國人の使用を窮
屈にするときは船舶は續々出來するも之を動かすの人手に乏しくして幾多の船舶舳艪相接
して空しく埔頭に立往生するの奇觀を呈するに至る可し資格云々と云へども營業者が外國
人を雇ふには何れ其本國に於て乘組の經驗あるものに外ならざれば其資格は内國人に比し
て寧ろ充分と云はざるを得ず或は營業者が事に不案内にして無經驗のものを雇入る可しな
ど云はんかなれども經驗の有無は實際營業者に取て容易ならざる關係なれば苟も自家の損
得を考ふるものにして斯る粗漏はある可らず傍より掛念に及ばざることなり况んや身分來
歴を取調べて惡事もしくは過誤失錯の有無までも糺さんとするが如き非常の手數にして果
して出來得るや否や甚だ覺束なく思ふ所なり要するに此規定の如きは實際に不通のみか當
局者の手心次第にては彼の造船規程を別にして充分營業者を檢束し法の精神を左右し得る
の恐れあるものなれば奬勵の目的の爲めに我輩は寧ろ其削除を望むものなり扨いよいよ
日々の本論に移りて其希望の第一點なりと云ふを見るに奬勵法の不備欠典として認む可き
は其中に單に奬勵法の與へらる可きことのみを記して其金額の範圍を豫〓に限るの明文を
欠けること是れなり併しながら法の精神は歳計の許す限りに於て保護するは明白なるを以
て法學上の議論を避け財政と計畫との併行を期する爲め第十議會の劈頭第一に於て同法の
改正を望むと云へり此説の如きは恰も法の精神を抹殺して非奬勵の實を成さんとするもの
と云はざるを得ず一方に於ては奬勵金を與ふ可しと明言しながら一方に於て其金額を限る
ときは現在の船舶所有者にして逸早く認許を受けたるものは奬勵金に有付けども法の實施
を目的に新に船舶を製造するものは他に先取權を占められて一錢の金をも受る能はずと云
ふ恰も一村の人に向て施米を約束しながら先に來りたるものには與へ後れたるものには與
へざるに異ならず施しの目的に背くのみか法律上にて云へば取りも直さず一部の人民に選
手權を私するものにして其結果は寧ろ一般の進歩を麻痺せしめざるを得ず斷じて許す可ら
ざるものなり前にも記したる如く目下外國船に占められつゝある航路を回復して全く我手
に収むるには毎年凡そ千二百萬圓の支出を要する勘定なりと云へり是等の航路は何れも我
商賣貿易の爲めに必要にして現在將來の計畫は何れも其航路の回収を目的とするは無論、
其上には更らに進んで新線路を開くの計畫もあらんなれば奬勵法の發布なければ夫れ迄な
れども既に發布して目的を達せんと期する上は毎年千萬圓以上の支出は當局者の責任とし
て固より覺悟せざる可らず或は無きものを強ひて支出せよとならば無理の注文ならんなれ
ども今の國力の有樣を以てすれば僅々千萬の歳入を增すは敢て難事に非ざれば當局者たる
ものは無益の心配を止めにし須らく國民の同情に訴へて支出の税源を求む可きのみ而して
年々一千萬と云ふも敢て無期限を望むに非ず我輩の所見を以てすれば凡そ船舶には一定の
命數あることなれば自から其數より算して先づ十年乃至十五年を期限として奬勵法を繼續
し其年限中に製造買入の船舶には一樣平等奬勵金を與ふることゝなしたらば計畫者も自か
ら利害を考へ其間に去就を决して實際に先取專有の不公平を免れながら充分に奬勵の目的
を達す可し左れば奬勵法に一定の期限を設くるは至當の處置なれども單に法の發布を見た
るのみにて未だ實施にも至らざる今日に早く既に豫算制限論を唱へ恰も一部の人民に國費
の先取權を與へて奬勵の實を無にせんとするが如きは我輩の斷じて反對する所なり次に
日々は法の欠典を擧て例へば九州門司より濠洲アドレーまで空船を送るも尚ほ一割三分の
純益を得るに難からずと云へども是れは取越苦勞と云ふものなり前年國立銀行條例發布の
時に或人の説に條例の規定に從て爰に一の銀行を發起し若干圓の公債證書を政府に預けて
定額の紙幣を發行しながら其紙幣を以て更に公債を買入れ之を庫の内に藏め置き双方の利
子を収むるときは毫も資本運轉の勞を取らずして株主に相當の利益を配當するを得べし妙
案ならずやとて一塲の戯談に供したることあり此言たる决して戯談に非ず若しも銀行の當
局者にして實際に行はんとするときは條例の文面に觸れずして行ひ得たりしことなれども
全國百何十の國立銀行中、今日に至るまで曾て斯る沙汰を聞かず商賣の實際と坐上の空想
とは全く別なるを知る可し左れば單に法の文面のみに就て想像を逞ふするときは空船を往
復して利益を得るの趣向なども浮ぶことならんなれども實際の商賣に從事して實利を収め
んとするに空船云々の如き空手段など工風するものはある可らず我輩の慥に保證する所な
れば斯る取越苦勞は無用にして大に安心して然る可きものなり終りに至りて日々が奬勵法
は邦人の名を〓す外國人の〓〓を肥すの抜け道ありて現に近今勃興する郵船業者中外人混
入し居らずやと疑はるゝものありと〓〓取沙汰する云々の一言は他を誣ふるの甚だしきも
のと云はざるを得ず近來外國人の中には我國の公債〓〓を買入るゝものあり又往々株券を
所有するものも少なからず左れば汽船會社の株の如きも遊び遊び外人の手に入ることもあ
る可し我輩は斯くの如くにして外國の資本が續々内地の事業に投下せられますます發達を
促すに至らんことを希望するものなれども現に外人の公債又は株券を所有するものは尚ほ
〓々の〓にして計〓るに足らざるのみか實際に我國力を以てすれば目下郵船會社の發起の
如き外人の力を〓るの必要なし例へば今回郵船會社にて千二百萬圓の增資を决したるが如
き其中四百萬圓は帝室又は富豪家の負擔とし其餘の八百萬圓は一般の株主に引受けて毫も
難色なきに非ずや船會社の株主にして優に八百萬圓を引受るの力ありとすれば他の會社の
人々とても同樣の次第にして何千何百萬の資本、これを今の日本國中に募集するは甚だ
〓々たるのみ日々が近今勃興する汽船業者中外人混入し居らずやと疑はるゝものありと云
ふ其汽船業者とは何れの會社を指したるものなるや知らざれども我輩は東洋汽船會社を始
めとして其他新起の航業者中陰にも陽にも曾て外人の加入し居る事實を認めざるものなり
世間一種の近眼者流は其知見の及ぶ所甚だ狭くして國力發達の實を詳にせず日本は依然た
る昔しの日本國と心得て或は何千萬圓の資本にて事業發起の計畫ありと聞けば斯る大事業
は到底日本人の力に及ぶ所に非ず必ず外國人の加入し居るならんなど自家の無識より他を
疑ふて疑心暗鬼を生ずるものなきに非ず日々記者の如きも亦この流の流亞たるを免れざる
ものならん日本國の中に居ながら自から國力發達の程をも知らずして他を疑ふは自家の無
識を表するものにして只憫笑に付す可しと雖も現に近今の汽船業者中外人混入の疑ありな
ど漫に公言して公然人を誣ひ他に迷惑を掛るに至りては其浅墓さも沙汰の限りにして斷じ
て恕す可らず一言敢て其不心得を戒しめ置くものなり