「東京日日新聞の航海奬勵法論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「東京日日新聞の航海奬勵法論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日日新聞の航海奬勵論は相變らず當局者辯護論なり自家の所見は自から言ふを嫌ふものの如く又言ふ能はざるものの如く日日が自から法の不備欠典と認めて論じたる其論に對する我輩の反論に就ては曾て一言の答なく只左の如く述べ去りたるのみ

航海事業の保護奬勵は經濟上及び財政上の一大問題にして其利害得失は容易に論斷し得べきものならず之に就ては吾曹平生の宿見あり他日適當の時期に於て之を江湖に披陳することあるべしと雖も夫の航海奬勵法に至ては吾曹の見て以て缺點とすべきもの少からざるを以て吾曹は其不備の條件を指示するに躊躇さざりき然れども經濟及び財政の大體に通ぜざるのみならず現在の事實及び制度をも解せざる時事新報の反對論には同意する能はざるなり

我輩は強ひて日日の同意を求めんとするものに非ず、するもせざるも他人の勝手なれども自から平生の宿見ありなど稱しながら此際に一言を吝しみて單に同意する能はずと云ふに止む甚だ物足らぬ心地すれども致方なし其宿見なるものは何れ他日適當の時機に於て江湖の人人と共に緩る緩る承ることとす可し

日日は本論を右の數言に止めて忽ち辯護の本色を現はし我輩が日日の言に據り(當局者の語る所に依れば半年間の保護金を凡そ三十萬圓と見積りたるは奬勵法の規程に合格する船舶を先づ二十七八隻存在するものとして打算したるなり云云と日日は記載せり)既に奬勵を行はんとしながら現在の數に由て打算するとは何事ぞやと云ひたるを咎めて然らば何を標凖として打算す可きかと反問したれども是れは日日が自から記したる如く當局者の意見は我國人が當然得らる可き運賃にして外國船舶の爲めに占められつつある金額は實に二千百七十餘萬圓にして邦人の手に收め得たるものは百廿五萬圓に過ぎず他は外國に持去らるるものなれば奬勵法の終局の目的は大に海運を隆盛にし從來外人の掌握に歸したる運賃の全部までも回復せんとするに在りと云へり斯る確かなる算當ある上は如何樣にも標凖の立方あるに非ずや既に回復を目的としながら是非とも現在の船舶を標凖に打算せざる可らずとの理由は甚だ聞えぬことなり又盖し時事新報の如きも當時に在りては二十九萬圓を相當と認めたるに相違なし若し然らずとせば何故に其過少なるを論ぜざりしぞ豫算調製の當時に在りては人皆二十七八隻の豫定綽綽として餘裕あるを信じたりと雖も其後の市塲の氣配豫想外なるが爲め今日に於て豫算の不足を掛念するに至りしなり而して時事新報は自から其豫想に反したるの驚を蔽はんとして物識顏を裝ふ云云の放言の如きは一讀ただ呆然の外なきのみ我輩が相當と認めたるや否やは平常時事新報を讀むものの苟も疑はざる所、今更ら言を費すの要なし日日の所謂市塲の氣配豫想外なるが爲め自から其豫想に反したる驚を蔽はんとするとは取りも直さず其辯護の主人たる當局者と記者自身との事に外ならざる可し如何に周章狼狽の餘りとて縁も由緒もなきに恰も無理情死の卷添へとは甚だ迷惑の至りなれば少しく氣を靜にして責めては自他の分別ぐらゐは付くやう致したきものなり又我輩が當局者自から法を草しながら奬勵金を受るものは當時現在の船舶に限ると豫算したるは誤りなりとの言を非難して豫算外の奬勵金を與へざるの規定は何處にあるか且つ此豫算は廿九年度に施行する者なれば次年度の豫算には如何に増加するも妨なしと云へり本來我輩に於ては強て其誤りを咎んとするに非ず只當局者が斯くの如き切詰めたる豫算を立てながら今更ら豫想外の盛運に驚き造船規程などを面倒にして奬勵金の支出を吝しまんとするが如きは斷じて許す可らざる處なりとの趣意なれば若しも當局者が造船規程も面倒にせずして豫算外の支出をも爲し次年度より大に増加するの决心ならば夫れにて差支はなきことなり

我輩が若しも二重底の制限を飽までも面倒にして規程を設くるときは合格を得る船舶はなきに至る可しと云ひたるに就き日日は頻にくどくどしく論ずれども詰り制限の程度論にして果して二重底の完全なるものと限れば郵船會社の持船中にては日日の認むる如く獨り土佐丸の一隻あるのみ然れども日日の調査に從ひ所謂部分二重底のものは勿論、北海、越後、伊勢の如きもの迄も之を全通二重底に計へて差支へなきことなれば其制限は極めて寛大自由の者にして我輩に於ても異論なし而して日日は二重底の論に付き日本の國法に依り二重底と名くる者の何たるは船籍に依りて之を論ずるの外なきに時事新報の迂■(さんずい+「闊」)なる現在の船籍すら調査せずして無稽の言を爲し云云など妄言すれども何ぞ圖らん斯く妄言する日日自身こそ自から迂■(さんずい+「闊」)無稽を免れざるものなり日日が前に記したる北海、越後、伊勢の三隻を全通二重底と認めたるは政府の船籍を當にして調べたるものならんなれども右の三隻の如きは實際全通二重底に非ず船籍中に北海丸などを全通二重底と記載しあるは全くの間違ひなり日日記者の如きは只管政府に依頼して政府の事とあれば一點の間違ひなしとして盲信することならん記者の身分に於ては夫れにても差支なからんなれども政府の官吏とて决して萬通萬能の伎倆あるに非ず若しも記者の如く只管盲信するときは萬一政府の記録に京濱間の鐵道を廣軌鐵道と記載しあることもあらんには事實の如何に拘はらず尚ほ之を信ず可きや否や我輩は政府にて造りたる船籍なるものあるを知らざるに非ざれども實際の事實を見るに當りては毫も之に依頼せざるものなり日日にして眞實政府に親切の心あらば斯る事を喋喋して世間に知らしむるより内内忠告して誤りを正さしむるこそ記者に當然の役目なる可し

又日日は毎年千萬圓以上の支出は當局者の責任として固より覺悟せざる可らず今の國力の有樣を以てすれば僅僅千萬圓の歳入を増すは敢て難事に非ず云云の立言を非常に氣にして彼れ是れし時事新報は單に航海奬勵金の増加を豫測して其他を顧みず漫に日本國民は一千萬圓の増税を負擔するを得るを以て之を航海奬勵に充つ可しと言はんとす豈に誤らずやなど取留めなき言を放ちたり時事新報は目下國勢の擴張に從ひ國費増加の必要を論じたること幾回なるを知らず其論趣は何人も認むる所なるに然るに日日が單に航海奬勵金の増加を豫測して其他を顧みずとて強ひて我輩を誣ゆるの口氣あるは畢竟惡意あるに非ず記者は目下國力發達の實を詳にせずして一千萬圓とは大金なり斯る大金を航海奬勵にのみ向けられては今後其他の計畫に要する經費は如何して辨ず可きやとて如何にも心細く感じたる處より斯る言も出でたるならんなれども今の國民の負擔力は决して一千萬圓に限るが如き憐れのものに非ず苟も必要の經費とあれば自から辨ずるの道あることなれば此邊は敢て掛念に及ばざることなり日日は一方に斯く心細き言を爲しながら又一方に於ては航海事業の助成は一般奬勵法のみに限らずして特別保護の必要あり其制度にして完成するの日に至らば年年四五千萬圓を投ぜざれば保護奬勵を爲す能はざるに至らんとすと放言せり果して斯る奮發あれば頼母しけれども年年六百萬圓の奬勵金さへ能く其の要求に應じ得べきや否やは將來の形勢如何に由る可しなど云ふ當局者の考は如何にもあやふやなる尚ほ其上に第十議會の劈頭第一に奬勵の金額を豫算に於て制限せんなど當局者の爲めに辯ずるものさへある始末なれば將來とても斯る大奮發は到底覺束なかる可し終りに至りて日日は又た左の如く云へり

時事新報は吾曹を以て一意當路者を辯護するものと爲しながら吾曹の航海奬勵法の改正を論ずるを非難せり何ぞ其矛盾の甚しきや吾曹をして當路者の爲に辯護するを力むるものならしめば何ぞ其改正の必要を説かん而して熱心に現行法を辯護するものは却て時事新報自身ならずや辭窮すれば則ち誣妄の言を構へて自ら蔽はんとす陋と謂ふべし其他空船云云を強辯し及び外國人の干繁を説くもの皆其事情に迂■(さんずい+「闊」)なるを自白するに過ぎず

是れは驚入たる辯解なり等しく法の改正を論ずるにも當局者の爲めにするものもあらん又然らざるものもあらん目下の塲合は當局者が事の豫想外に狼狽して當惑中なりとの説ある其處に日日が奬勵の金額を豫算に於て制限す可しと論じたるは如何なる精神なるや知らざれども喩へば或る家の主人が奉公人一同に勤勞年功に由て金の配分を約束しながら後に至り金額の案外に多きを發見して當惑の最中、出入の小才子が傍より差出口して約束は約束として金額を制限したらば如何など策を獻じたらんには其小才子は主人の爲めにするものか奉公人の爲めにするものか一見明白なる可し日日の改正論は斯る種類のものに非ざるか隨分〓したる辯解と云ふ可し空船云云外國人加入云云に至りては只獨り自から罵るのみにて其理由を云はず所謂辭窮すれば則ち誣妄の言を構ふとは他人の事に非ずして記者自身自から云ふものと知る可し