「 外交向背の機會 」
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時事新報に掲載された「 外交向背の機會 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
外交向背の機會
むかしむかし支那戰國の時代に滕の文公が孟子に諮り、滕は小國なり齊楚の間に介在す
齊に事へんか楚に事へんかと問はれて孟子も其返答に窮したることあり弱肉強肉の時節に小弱國の維持は策士の思案にも及ばざるを見る可し諺に世の歴史は唯同一樣の事を繰返すのみと云ふ此言眞に然り今日の東洋國中滕の齊楚に於けるが如きものなきに非ず支那朝鮮の兩國が英露に對するの形勢即ち是なり兩弱國の文公何處に在る、其心事憐む可きのみ均しく東洋國の名あるも我日本に至りては全く事情を異にし強國に事ふるの要とては固より毫末もあることなしと雖も列國利害の衝突、權勢の競爭、今日の如く激甚なるに方りては到底孤立超然の地位を永ふすること能はず否な之を永ふするの不利を發見して早晩何れにか向背を定むるの時節到來す可し避く可らざるの數なり斯く云へばとて我輩は直ちに日露同盟若しくは日英同盟あらんことを待ち設くるものに非ず孤立と同盟との間には自から餘地を存して其運動必ずしも窮屈ならず即ち双方の黙契に無限の意を寓することにして我日本が今日の如き地位より一轉して英露の二國に對し其孰れに背を向くるか孰れに面を向くるかを定むるは自然の勢に於て遂に避く可らざるのみならず日本にして自から活動して世界の舞薹に舞ひ、取る可き權力を取り、得べき利益を得んとするには必ずや此向背孰れかの地位に立たざるを得ず而して其去就向背の標準を定むるには眼中他を見ず唯自國の利害に訴るのみ他國に對しては恩なく讐なく苟も我立國進歩のせふ(扌へん・疐)けい(彳へん・坙)ならんには昨日の敵と握手して年來の親友と告別することもある可し如何にも冷淡無情なるが如くなれども浮世の國交際には餘儀なき次第にして例へば歐洲列國間に行はるゝ合縦分離の事情を見るに假令ひ實際の戰爭に至らざるも僅に十年を前後して敵味方の變化を示すもの多きが如し左れば我日本國も既に文明世界の國交際に頭角を現はしたる上は國權維持の爲め時として此種の變化を見ることある可し國民たる者の常に覺悟す可き所のものなり事に臨みて妄動するは畢竟平生の覺悟なきが故にこそあれば我輩は豫め一言して他日の參考に供する者なり