「 會社の風紀 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 會社の風紀 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 會社の風紀 

商賣の要は利益の一點なれども其利益を得るの法は駈引運動活溌自在にして然かも放縱に流れず小心翼々の中に大膽に擧動して事を决し毫も他の牽束を受けざるが如き最も必要にして一個人と集合體とに拘はらず其心掛は何れも同樣ならざるを得ず今の銀行其他の株式會社の組織には商法の規定あり又株主の定めたる定款ありて一方には役員の權限を明にして其擧動を牽束し一方には株主の權利を保護して苟も專私を許さゞるの注意甚だ密なり法律の約束は社會百般の人事に欠く可らざるの常にして商賣の取引も最後の手段は法律に據らざるを得ざるのみか日常の事も文字の約束に依頼するもの多し即ち規定の必要ある所以なれども是れは表面の公法にして會社の内部に至りては自から然らず定款の約束はありながら其約束は實際に恰も無用にして株主は役員を信用して總て之に委任し役員は自から任じて思ふ存分に事を行ひ双方共に默識意會して圓滑の間に事の運びを敏捷ならしめ利益の目的を達す可し彼の政治論の如きは政府も人民も唯一の憲法を楯として互に權限を云々し國會の議塲に双方共に火花を散して爭ひながら當局者は之が爲めに戒心して擧動を謹むなど政治の進歩は法律の爭論に由て見るの塲合も多けれ共會社の事は全く別にして約束は固より必要にして欠く可らずと雖も實際には恰も其約束を忘れて只管事に忙しき有樣に非ざれば營業の繁昌は到底覺束なし商賣上に權限論は全く禁物なりと知る可し扨實際に顧みて今の諸會社の有樣を如何と云ふに多數の中には其創立も古くして基礎既に成り役員の就任とて唯撰擧の名あるのみにして其實は會社固有の習慣情實に由て行はるゝものもなきに非ず是種の會社にては萬般の外面平穩の姿を成し役員等の身は恰も一種の世祿世官の如くにして自から其地位の萬歳を信じ假令ひ執務の實際に私の擧動なきも株主の意向の如き毫も心に關するに足らずとして充分滿足の餘り自然の結果は==怠慢の心を生じ=遂には========きを得ず而して其道====に偏する==あらん俗に陥るもあらんなれども==に論なく之を要するに商賣上の本務を餘處にして==全體=風紀の嚴粛を欠くの成行は免る可らず事の實際を云へば彼等の私行如何は強ひて咎む可らざるに似たれども其風紀に一點の欠くる所あれば自から種々の失態も生ずるの常にして世間にては早く既に其風説を傳へて株主の心を驚かすに至る可し或は從前の有樣ならんには役員等の居家處世又は其執務の法に多少の不都合怠慢あるも之を怪しむものもなかりしかども今日は一般の進歩と共に株主の輩も頗る世情に通じて銘々の利害に直接の關係ある事柄は决して之を輕々に看過せず斯る輩に委任して事に當らしむるは不安心なり此儘に捨置く可らずとて不快の念を懐く其極は定款の約束を云々して或は役員改選などの説を發するに至るやも知る可らず株主の身と爲れば斯る掛念も敢て無理ならず即ち始めて法律の必要を見る塲合にして會社の商賣上に斯る成行は甚だ面白からず我輩の聞くを好まざる所なり或は其風紀云々とても實際には格別の事にも非ず只一言の戒めにて充分なるが如き些末事もあらんなれども兎に角に株主をして不安の心を催ほさしむるは役員等の平生に足らざる所あるが爲めに外ならざれば今の會社の役員たるものは時勢の一變を顧みて自から擧動を謹しみ勉めて風紀を嚴粛にして商賣社會に動もすれば法律論の發生を見るが如き惡習慣を造らざるに注意せんこと我輩の呉れ呉れも祈る所なり