「臺灣の經營費掛念するに足らず」
このページについて
時事新報に掲載された「臺灣の經營費掛念するに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
前號に臺灣の經營に莫大の費用を要するに就ては同嶋を抵當として内外に公債を募り其金
を以て大に着手す可しとの旨を論じたれども是れは萬止むを得ざる塲合の手段を述べたる
のみ本來我輩の所見を以てすれば現在日本の國力は租税の負擔に綽々餘裕ある其中にも差
當り清酒税の如きは更らに大に揄チして充分に収入の見込あるものなり其筋にて多年來酒
税の事に經驗ある人の實驗談に一年間を平均して日本人の口に入る酒の量は慥に六百萬石
の數に達す可しと云ふ其六百萬石とは各種の酒類及び自家用料の酒をも合算したるものに
て清酒の數のみに非ざれども兎に角に日本人の全體に六百萬石の酒量あるは疑もなき事實
にして収税の一點より見れば誠にョ母しき次第なりと云ふ可し人間の情慾は到底制す可ら
ざるものにして酒の味を知らざれば兎も角も既に之を知りたる上は如何にしても止むるを
得ず然かも其嗜好は生活の發達と共にますます發達するの約束なり或は下等社會の勞働者
などに至りては飮酒は决して贅澤の爲めならず眞實生活の必要として欠く可らず酒税揄チ
は下等社會を苦しむるものなりとの説もあらんなれども本來是輩の嗜む所のものは濁酒燒
酎等の下酒にして清酒の如きは其口に入ること稀れなるの常なれば税を課するには上酒を
目的とし下等の貧民には毫も痛痒を感ぜしめざるを度として决行す可し即ち我輩が特に清
酒の攝ナを主張する所以なり又或は攝ナの爲めに酒の價を騰貴せしむるときは其割合に需
用を減じて結果は矢張り揩ウゞると同一なる可しなど掛念するものもあれども前にも云ふ
如く飮酒の嗜好は到底制す可らざるのみか酒客の常として一たび上酒の味を解するときは
容易に其性質を引下ぐること能はざるものなれば平常清酒を用ふる中以上の社會に於ては
其價が騰貴したればとて僅々の銭の爲めに嗜好を節し又は其性質を引下ぐるが如きことは
萬々ある可らず假りに一歩を讓り酒價騰貴の影響として需用を減ずることありとするも社
會の繁昌生活の發達と共に嗜好のますます贅澤に趣くは人情の自然にして現に今日の實際
に日本酒に比較すれば頗る高價なる麥酒、葡萄酒の如き次第に需用を揩キの有樣なれば其
影響は全く一時の事にして决して永續の氣遣なし我輩の斷じて請合ふ所なれば當局者は只
日本人全體の酒量を目的として攝ナの决斷を斷ず可きのみ一般に毫も苦痛を感ぜしめずし
て充分に目的を達すること疑ある可らず扨其攝ナの程度は如何と云ふに此兩三年間の平均
を見るに全國にて清酒の釀造高は凡そ三百五十萬石なり而して其税は從來一石に付き四圓
なりしを過般の改正に由り七圓に揩オたれども我輩の所見を以てすれば更らに二倍して十
四圓に揩オ更らに進んで三倍二十一圓までの揄チは今日の實際に差支なきを信ずるものな
り即ち三百五十萬石の高に十四圓の造石税は四千九百萬圓、二十一圓なれば七千三百五十
萬圓の収入を見る可し此七千萬圓の酒税は口贅澤なる酒客の口に課するものにして然かも
下等社會には苦痛を及ぼさゞるのみか一般の商賣殖産上にも毫も影響を見ずして容易に目
的を達す可きものなり清酒税揄チの一事にても臺灣經營の費用の如き其支出に差支なきこ
となれば公債云々の决斷は先づ國内に攝ナの手段を盡したる後の談と知る可きなり