「内閣變動と自由黨」
このページについて
時事新報に掲載された「内閣變動と自由黨」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内閣變動と自由黨
今回大隈、松方の入閣談に付き種々の變態を現はし遂に内閣の變動を致したるは自由黨が最初より二人の入閣を非として反對したる其結果として見る可きが如し世間或は同黨の擧動を認めて區々たる政黨の力を以て政府を操縦せんなど試みたるは無智の至りにして頑陋共に語る可らずなど云ふものもあれども我輩の所見は大に然らず自由黨の擧動素より感服せざるものなきに非ずと雖も政治上の正面より同黨の擧動を觀察するときは其主義に於ては一點の非難を見ざるのみか斯くありてこそ政黨の本色を得たるものと云はざるを得ず抑も板垣伯が自由黨の總理として入て内務の地位を占め黨中の重立ちたる輩を用ひて大に政府を操縦せんと試みたるは同黨本來の主義たる政黨内閣の實を實行せんとしたるものにして立憲國政黨の本分を盡したるに外ならず其主義は我輩の年來主張する所にして他年一日その實行を期する所なれども只我國目下の時勢に於て未だ可ならざるものありと云ふ其次第は明治政府は今の元勲輩が造り出したる政府にして創立以來尚ほ三十年に滿たず元勲輩は現に生存して氣力も甚だ慥に其人物は兎も角も政界の名聲他に比類なくして一般の希望を繋ぐの事實は自から掩うふ可らず即ち今の政黨の如き目から期する所の主義はありながら實際に勢力を張らんとするには其元老を首領に戴くの必要あるを見ても世間に其聲望の盛なるを知る可し左れば昨年板垣の入閣に就ても其主義を實にするの便宜より云へば内閣總理の地位を占め自黨の人々を以て政府を組織す可き筈なれども實際には政府の一部局なる内務の當局者として二三の黨員を屬僚に登用したるに過ぎず政黨内閣主義の實行誠に望む可しと雖も政黨の力を以て全政府を操縦するが如き時勢の尚ほ未だ許さゞる所にして目下の計は政黨たるものが次第次第に歩を進めて世情の變化と共に其實行を期するの外なきのみ今回の變動に板垣伯は伊藤總理と共に辭表を捧げたりと云ふ未だ確報を得ざれども果して事實ならんには一見、自由黨の失敗と云はざるを得ず世間に於ても斯く認むることならんなれども其失敗たる單に時勢の不可なるが爲めにして本來の主義を實にするの熱心より一圖に進まんとして躓きたるものに外ならざれば政黨の本色より見れば名譽の失敗にして自から省みて愧づる所はなかる可し我輩は寧ろ其勇氣に感服するものなり思ふに時勢の變遷は甚だ迅速にして今の明治政府必ずしも百年の政府に非ず政界の進歩は時々刻々進んで止まざることなれば自由黨たるものは此一敗に遇ふてますます奮ひ次第に歩を進めて本來の主義の實行を期するとこは其望決して空しからず自黨の首領をして單に政府一部局の地位を得せしむるに止まらず全政府を擧て自黨の掌握に〓し眞實政黨内閣の實を見るも敢て難きに非ざる可し自由黨は我國の政黨中にて歴史もあり黨員も少なからす自から政界の一方に勢力を占むるものなればいよいよ其勢力を養ひ次第に進んで主義の實行を期せんこと我輩の望を屬する所なり