「米國の銀論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國の銀論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國の銀論

目下米國にては金銀の論甚だ盛なり金論を喋喋して銀を排斥するものは東都諸州の人人にして之に反して銀論を唱へて銀價の回復を企るものは西部諸州に多し金論と銀論と斯く東西兩部に分れて互に論爭するは其地方に依り各自の利害を異にするが爲めに外ならず即ち西部のネバアタ、カリフオルニヤ、アリゾナ、ウター、コロラド等は所謂銀人の剿窟にして銀鑛を所有する者多く銀の利害は即ち一身の利害なるに反し東部諸州の多數は銀の騰貴に關しては毫も利する所なく現在の有樣を喜ものなればなり斯くて金銀の兩論は今回大統領の撰擧に於て其論爭愈よ甚しく合衆黨にては萬國一致して複本位を採用するに至らざる間は依然金本位を維持して銀の自由鑄造に反對す可しとの决議を以てマツキンレー氏を候補者に選定し又共和黨にては他國の援助を待ず斷然金一銀十六の割合を以て兩貨の自由鑄造を實行し共に法貨として流通せしむべしと宣言して極端の銀論者なるブライアン氏を推擧したる次第なりマツキンレー氏の如き本來は銀人にして銀の回復を欲するものなれども黨派上の關係より一時の方便として金論に與したるに過ぎず聞く所に據れば今の合衆黨必ずしも金論者のみならず共和黨必ずしも銀論者のみならず兩黨の中にも自から利害を殊にして黨の决議宣言を其儘に守るもののみに非ざれば或は一歩を進むるときは今の黨派は分裂して更に金銀兩黨の組織となり形勢一變するやも知る可らずとの説ある中にも近來銀論の勢力頗る盛にして侮る可らざるものありと云ふ其銀論者の論に曰く或は米國にて複本位制を採用し銀の自由鑄造を許すときは國内の金は悉く去て他國に赴き一片の金も見ざるに至る可しとは反對論者の只管憂慮する所にして實際の事實に相違なきも毫も意に介するに足らず其次第は若しも米國にして歐洲より多額の資本を借り居る時代ならんには之を返濟し又は利子を支拂ふに當り金を以てせざるを得ず非常の不利益なれども米國近來の有樣は然らず國内の資本は國内資本家の自から投ずる所にして他國より注入したるものは僅僅の額に過ぎず他に對して借金を拂ふの必要なきことなれば此一點は决して憂ふるに足らず或は又歐洲との貿易上に差支を生ずべしとの懸念もあらんなれども今や國内の殖産興業は大に進歩し軍艦レールの如きものさへも自由に製造するを得て一物も歐洲に輸入を仰ぐの必要なき其反對に米國より彼に輸出する品物は一瓶の酒、一袋の麥、一俵の綿悉く金に非ざるはなし即ち金を得るの手段は容易なれども之を蓄ふるの必要は殆んど絶無なれば歐州貿易の爲めに金貨を維持して年年巨額の損失をなさんよりは大に决斷して全く貿易の關係を絶も實際に差支はある可らず米國の爲めに其利害を如何と云ふに現に其近隣を見ればメキシコと云ひブラジルと云ひ又東洋諸國即ち日本支那朝鮮の如き何れも銀貨國にして世界の大半は銀貨を使用して利害を同ふするものなれば米國は斷然歐洲との關係を絶つと同時に是等の諸國を相手に商賣貿易を行ふときは歐州諸國は悉く〓〓の〓〓を失ふて孤立の姿に陷り遂に破産するの外なく米國は恰も世界貿易の盟主たるに至る可し國の利益を計るは銀の價格を回復するに在り金の排出の如き毫も意に介するに足らざるなり云云とて其氣焔殆んど當る可らざるものありと云ふ米國金銀論の勝敗は我日本の貿易上に影響すること甚だ大なり世人の最も注意す可き所なり