「製造品課税問題」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「製造品課税問題」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日清通商條約の締結に付き彼我の間に意見を異にして互に折合はざりしは彼の製造品課税

の問題にして或は之が爲めに徒に條約の締結を遲滯せしむるの恐れあるより右の問題は馬

關條約本文の解釋に讓り通商條約には別に規定せざることゝして双方の調印を済ましたる

次第なりと云ふ通商條約も未だ公布を見ざる今日に於ては實際の如何を詳にせざれども姑

事實を右の通りとして聊か我輩の所見を述んに抑も馬關條約に據れば日本人が支那内治に

於て製造したる品物は自國より輸入したる商品と同一の取扱、同一の特典免除を受く可し

とありて内國運送税、内地税、賦課金、取立金等は一切課せざるの規定なり條約の明文、

明白にして毫も疑を容る可らずと雖も彼の政府にて主張する所なりと云ふを聞くに若しも

右の規定に從ひ日本人を始めとして諸外國人が續々製造業を起して物を製する其製品が一

切無税にて内地に賣捌かるゝときは支那政府は恰も海關税の収入を殺減さるゝ者にして左

なきだに困難なる戰敗後の財政は到底立行く可らず左れば今その製造品に對して一種の税

を課するは實際の必要にして別に條約の文面にも牴觸せざる可し云々の趣旨にして詰り情

實談に外ならざれば本文の解釋上には素より耳を傾くるに足らざるの説にして之を判斷す

るは只我國の利u如何の一點のみなれども扨その利uの點より此問題を研究するときは大

に考へざる可らざるものあるが如し我國人は支那内地の起業を以て非常に利uあるが如く

に思ふもの多しと雖も實際は决して然らず目下彼の國に於ける外國貿易の有様を見るに日

本製造品の輸入は年々揄チの一方にして就中紡績絲は最も好况を呈せり其原因は我工業殊

に紡績業發達の結果に相違なしと雖も畢竟彼の國内に製造業の起らずして我製品の供給を

待つが爲めに外ならず纔に一衣帶水を隔てゝ二億の人口の有する大帝國を得意とする我工

業の前途は實に萬々歳なれども今もし馬關條約の明文の隨て内地の製造を自由にするとき

は其自由を得るものは單に日本人のみならず他の外國人も續々着手して紡績業の如き必ず

盛大を見るに至る其曉に我國の利害は如何と云ふに一見甚だ明白なるものあり支那の内地

に工業起らずして外國より製造品を輸入する塲合には例へば紡績絲の如き歐洲の製造國に

ては其原料を他より買入れて之を製造し更らに支那に輸出することにして勞力の賃銀と云

ひ運送の費用と云ひ其他各種の不便あるに反し我國の製造家は右の各種の不便を免かるゝ

其上に現時の有樣を以てすれば銀貨國なる日本が金貨國なる歐洲諸國に對して貿易上、利

条の地位に在るは今更ら疑ふ可らず兩國間に戰爭の不幸を見たるにも拘はらず近來我製造

品が支那の市塲に販路を擴めて他の競爭に對して着々勝を制する所以は以上の理由に外な

らず數の最も睹易き所なるに然るに今彼の内地の製造業を自由にして外國人等が續々着手

するときは其結果果して如何なる可きや彼等は既に資本に豐なる其上に原料は支那の内地

に求めて乏しきを患ひず勞力の賃銀は甚だ賤くして使役に便なりと云ふ或は内地の原料に

窮して之を印度の邊に求むるも其運送は片路のみならず距離も左まで遠からざるが故に本

國の製造に比して費用の少なきは同日の談に非ず斯くて廉價の製造品が支那の市塲に蒐集

するに至らば目下正に發達しつゝある我國の製造業は如何なる有樣を呈出す可きや事の主

動者たる日本人は自から進んで彼の内地に競爭を試みざる可らざること勿論なれども此塲

合には彼我の關係恰も同一にして我に於ては毫も便利の點なきのみか寧ろ不利の事情こそ

多からざるを得ず彼の上海紡績會社が彼の内地に於ける起業を見合はせたるが如き課税問

題の定まらざるが爲めとは云ひながら實際には利害上、大に考ふる所ありて暫く思ひ止ま

りたるものなりと云へり以上の事實に由て判斷するときは自由製造の我工業に不利uなる

は甚だ明白なりと云ふ可し左れば西洋諸國にては輸入品に對して保護税を課し又は國内の

製造家に奬勵金を與ふる等、只管自國の工業を保護せんとするものさへある其處に今や支

那政府は自他の區別に拘はらず一切國内の製造業に課税して自から其發達を妨げんとす假

令ひ窮餘の窮策とは云ひながら驚入たる處置なれども我國の爲めに謀れば彼が斯る處置に

出でんとするこそ幸なれ其課税の多々ますます多くして國内に製造業の起ること能はざる

の程度に及ぶときはますます以て妙と云はざるを得ず思ふに馬關條約締結の當時には戰勝

の勢に乘じて從來未决の案件を一時に决して世界の耳目を一新せんとするの意味もなきに

非ず又自から他に目的とする所もありて彼の自由製造の一項を條約中に規定したることな

りしならんなれども今日に至り現に計算上に其不利uを發見したる上からは單に空論に拘

泥して自から損す可きに非ず近報に由れば上海の英國商業會議所にては本國政府の諮問に

對して製造税の賦課に同意の答申を爲したりと云ふ我輩は支那政府の請求に應じて製造税

を認可するの實際我國の利uたるを認むるものなり然りと雖も右の一項は條約の明文に掲

げたる我既得權にして今更ら濫に抛棄す可きに非ざれば果して製造税を認可するの塲合に

は其報酬として更らに求むる所なかる可らずと雖も其論は姑く後に讓り我輩は世人に向て

差當り課税問題の利害に付て篤と熟考せんことを希望するものなり