「小學校の毛筆畫」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「小學校の毛筆畫」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

繪畫の效能は言語もしくは文字にて形容し難き事物を實際に現はし人の了解に便ならしむ

るに在て兒童のヘ育には必要の學科なり左れば今の小學校にて一の學科として之を授くる

は素より至當の處置なれども聞く所に據れば近來は其ヘ授に日本流の毛筆畫を以てするこ

と一般の流行にして西洋流の鉛筆畫は甚だ不向の模樣なりと云ふ盖し其流行は外國人など

が頻りに日本の古畫を稱賛して止まざるより急に從來の畫術を珍重するの風を成し日本固

有の美術を發揮するには小學ヘ育の根底より培養すること必要なりとの精~に出でたるも

のならん美術の議論は姑く別として我輩の論ぜざる所なれども小學の兒童に毛筆畫を授く

る一事は斷じて不可なりと認めざるを得ず抑も小學にて繪畫をヘふるの趣意は國中一般の

生徒をして悉く畫師たらしむるが爲めに非ず只物の形を繪畫に現はすの心得あるときは日

常の事に甚だ便利なるが故にヘ育の一科として之を授くるまでに過ぎず此目的よりすると

きは鉛筆畫の適當なること一見明白なる可し日本畫の妙所は一穂の毛筆を馳せ濃抹淡裝、

雲烟縹渺の間に一種の氣韵を寓するに在て花鳥草木の圖と雖も决して規矩準繩を以て律す

可らず或は美術の點より見れば妙は即ち妙ならんと雖も直接に物を寫生し器械的、幾何畫

的に眼前の形體を描き出すが如きは最も短所にして此一點に至りては到底鉛筆畫に及ぶ可

らず日本畫と西洋畫とを比較するときはおのおの長短ありて一概に論ず可らざるは勿論な

りと雖も或る經驗家の言を聞くに毛筆畫は之を修めて其蘊奥に達せざるときは殆ど用を爲

さゞれども鉛筆畫なれば多少の心得あるものならんには例へば商店の手代と爲りて自ら物

を注文し又は他の注文を引受くる塲合などに言語文字の及ばざる所は畫を以て用を辯ずる

の利uも少なからずと云へり頑是なき小學の兒童に毛筆畫の妙を悟りて自から一種の~韵

を感得せしむるが如きは難中の至難のみならず本來の目的は决して專門の美術家たらしめ

んとの趣意に非ざるに然るに實用に適切なる西洋畫を止めて日本畫をヘふるが如き全くヘ

育の目的に反するものにして斷じて取らざる所なり今の小學のヘ育を見るに學科の種類多

きに過ぎて或は軟弱なる腦髓に堪へ難きの感なきに非ずヘ育家の大に注意す可き所にして

成る可く不要の科目を除てヘ授を簡易にするの方法こそ目下の必要なるに曾て其邊の注意

はなきのみか世間の美術熱に熱して通俗の實際には殆んど無用なる毛筆畫などを授けます

ます兒童を苦しめんとす心得違ひの甚だしきものと云ふ可し我輩はヘ育家が自から省みて

本來の目的に立返り其流行を止めにして繪畫のヘ授に鉛筆畫を以てせんことを勸告するも

のなり