「治水の計畫急にす可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「治水の計畫急にす可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

治水の計畫急にす可し

明治政府の治績を見るに維新以來諸般の改良少なからざる中にも人民保護の一點に就ては西洋文明の新制度を輸入して封建專制の弊習を一洗したる其功勞甚だ大なるものあり例へば法律の改正、警察の組織、衛生の取締等の如き生命財産の安全を目的としたるは勿論、又よく民間の輿論を容れて府縣會の開設より帝國議會の設立に及びたるが如き民權擴張の趣旨に外ならずして今の憲法政治を舊幕時代の專制政治に比すれば霄壤の相違にして人民の幸福、日を同うして語る可らず此一點に就ては我輩は口を放て明治の新政を賞賛するに憚からざるものなれども然れども其新政たる只人民の保護のみにして國土保安の大事を等閑に付したるは甚だ遺憾に堪へず政府の一大欠點として認めざるを得ず抑も國は土地と人民とより成るものにして國政の要は單に人を治むるに止まらず山を治め水を治むるは國土保安の責任にして其必要は人民保護に異ならず封建の政治は今人の認めて專制壓抑の惡政と爲すものなれども山林河川の如き最も注意して三百年間、曾て怠ることなく國土保安の責を全うして後人に遺したる其功徳の大なるは疑ふ可らず然るに明治の新政府は文明改良を唱へ前代の惡制〓除を以て自から任じながら實際に見る可きの治績は人民保護の一點のみ山林河川の如きは恰も放擲して顧ず幕府を始め諸藩廳の當路者が數百年間辛苦經營の結果として吾吾に遺したる既有の治績をさへも空うしたるは實に一大失政と認む可きものにして前人に對して申譯なかる可し維新以來山水の處置を如何と云ふに山林の如き水源の涵養、氣候の調和に必要なるにも拘はらず濫伐に一任して毫も注意する所なく甚だしきは宮寺附屬のものまでも沒收して之を切拂ひ神殿佛閣の維持法を失はしめて其敗頽を致すと同時に固有の風致を損し水源を害するなど妄慢の擧動只驚くの外なし又河川堤防の工事の如き舊藩の時代には大に力を用ひたるものが新政府に至りては其工事を見ること甚だ輕く或は地方の如きは一府縣の下に利害を異にして費用の支出を吝しむなど責任の歸する所、明ならず殆んど治水の方針として認む可きものなきは實際の事實にして之を目して政府の怠慢と云はざるを得ず盖し人民には自から不平を訴ふるの口あれども山と川とに至りては口もなく聲もなく當局者の處置に對して自から不平を訴ふるを得ず三十年來等閑に付せられたる所以ならんなれども山川亦終始默して止む可きに非ず今回の水害の如き取りも直さず其不平の破〓を見る可き〓〓の警戒にこそあれば當局者の宜しく謹聽す可き所のものなり今度の洪水は或は何十年來未曾有の珍事なりなど稱して自から希有の災〓ならんかなれども近年に及んで特に水害■(さんずい+「存」)の事實を見れば〓〓政府が維新以後山林河川の事を怠慢に付したるもの重なる原因と認めざるを得ず然りと雖も既往の失策は今更ら〓むるも〓なし我輩は只政府が今日に就て自から〓め一日も早く治水の事に着手せんことを望むのみ新任内務大臣は就任匆匆何は差置き水害地方の視察に赴きたるが如き頗る熱心にして自から所見もあることならんなれども俗に云ふ喉元過ぐれば熱さを忘るるの喩の如く若しも目下の機會を逸するときは自然にお流れとなるの掛念もなきに非ざれば我輩が曾て前號に述べたる趣向に據り工事計畫の調査を急にして一般の設計は兎も角も緊急を要する工事だけは是非とも第十議會に提出するの覺悟なかる可らず封建時代の昔ならんには洪水の害を受るものは直接に其害に遭ひたる人民のみにして間接には多少米價の騰貴を告ぐるに過ぎず其損害は格別のことに非ざれども商賣工業發達の今日に於ては電信鐵道を斷絶せられて運輸交通の便を妨げ各種の製造所を破壞せられて業務を停止せしむるなど全國一般に影響して非常の損害を見る可し而して是種の損害は今後の發達に隨てますます甚だしきを加ふるものなり治水の事、一日も等閑に付す可らざるなり