「世界列國海軍擴張の現状」
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時事新報に掲載された「世界列國海軍擴張の現状」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日清戰爭の結果は非常の感覺を世界の諸國に與へたるものゝ如く彼等は昨年以來殆んど申
合せたるやうに海軍擴張の熱度を高めて目下の形勢は恰も海軍競爭時代の高潮期として認
む可きに似たり實際に主動者として世界の風潮を動かしたる日本國民は其列國が今正に斯
業に汲々たる有樣を見て感奮興起ますます事の實を勉むるの决心なかる可らず今その有樣
を記すに當り先づ六強國の海軍經費及び造船費を示さんに
九五年度豫算 九六年度豫算 九六年度造船費
磅 磅 磅
英 一八、七〇一、〇〇〇 二一、八二三、〇〇〇 七、七六五、六四六
佛 一〇、八一四、六四八 一〇、六三七、〇九六 三、一〇六、〇六〇
露 六、一二六、一二六 六、四四〇、六六六 二、〇三三、三八六
米 五、〇七三、三六五 五、八六六、八〇二 二、六六五、五〇四
獨 四、三一八、一二五 四、三七二、〇六八 九六一、六五〇
伊 三、七一三、五〇九 三、六四一、三二四 八八〇、〇〇〇
海軍經費の多少は或る程度までは海軍力の強弱を示すものと見て差支なかる可し英が前年
度より三百十二萬磅餘を揩オ米が凡そ八十萬磅を揩オたるが如きは最も着眼す可き所にし
て英は右の豫算の外に更らに船渠軍港修築費一千四百萬磅餘を特別豫算として提出したり
扨て第一に
英國
より始めんに英は流石に世界第一の海軍國を以て自から任ずる其自任實際に空しからず軍
艦製造の盛なること驚く可きものあり既往七年間に竣功したるもの及び工事に着手して目
下製造中のもの大凡そ百五十七隻、六十四萬五千七百七十噸(水雷艇種を除く)の多きに
達したる中にもマゼスチック及びマグニフヰセントと名くる二隻の最大一等主戰艦(共に
一萬四千九百噸餘)が起工の後僅々二箇年以内に竣成したるは造船社會に異數の手際とし
て認められたる所なり此兩艦は本年の春海峽艦隊の旗艦として役務に就き威風凛然、邊り
を拂て對岸の佛國北海艦隊をして一驚を喫せしめたりと云ふ然れども英國は常に制海權即
ち海上を一掃して敵艦なからしむるの權力を維持するを以て立國の精~と爲すものなれば
尚ほ之に滿足せず本年度の豫算に於て更らに主戰艦五隻、巡洋艦十三隻、都合十三萬八千
餘噸、外に速力卅節の輕快敏捷なる水雷破壞艇二十隻を新造し海軍兵員五千人を揄チする
の計畫を立てたり本來英の政府は其保守黨たると自由黨たるとに拘はらず海軍を以て軍備
の主位に置き歐洲大陸の諸國が國境の防禦を嚴にして互に國勢平均の維持に勉むる其趣を
恰も反對にして專ら海軍に力を注ぎ其艦隊を他の軍團と同一視し海軍費を陸軍費に對照す
可きものとして止むを得ざるときは列國と比較上、微弱なる陸軍の力を殺ぐも海軍は是非
とも所要の程度に達せしめざる可らざるの一義をば固く承認して終始その方向に進みつゝ
あるものなり近來ツランスヴァール事件と云ひヴエ子ズヰラ事件と云ひ又土耳其事件と云
ひ一時は風雲頗る急にして或は開戰の噂ありしにも拘らず國内に危虞の念を起さゞりし國
民一般に自國海軍の強優ョむに足るの實を信任したるが爲にして爾來新聞雜誌の類は何れ
も筆を揃へて海軍擴張の急要を説き其聲國中に反響してますます熱心の度を高めたるは彼
の海軍年鑑の著者ブラツセー氏が今や英國の與論は如何なる代價を投じても制海權の維持
を勉むるの一點に同意するが如しと揚言したるを見ても知る可きなり更らに又注目す可き
は英人が一昨年末に海軍同盟會なる私立協會を創設したる一事なり會員の重なるものは貴
族、海軍豫備將校、商船會社、商業會議所、株式取引所等の頭取にして其目的は海軍思想
を國内一般の人民に普及せしめ又政府海軍案の通過を賛成幇助するを主眼として各植民地
にも夫れ夫れ支會を設け互に聯絡を通ずるの計畫にて既に香港の如きは其設立を見たり本
年の國會に海軍豫備兵揄チの問題出づるや該協會は機關雜誌に於て大に所見を述べ其揄チ
は假令ひ巨額の公債を募るも實行せざる可らざる旨を論じて非常に盡力したりと云ふ思ふ
に我國は英國と地位國情を同うして海軍を以て立國の精~と爲す可きものなれば其實例に
鑑みて大に擴張の實を擧げんこと國民たるものゝ一日も忽にす可らざる所のものなり次に
佛國
を見るに本年度の海軍豫算が前年度より稍や減少したるは一時の變象にして本來政府の原
案は前年度に比して多額なりしを豫算委員會に於て削減したるものなり蓋し近年來佛國海
軍費の揄チしたる割合は非常のものにして既往六年間に百分の三十五に上り其割合は之を
英國に比するも尚ほ大にして本年度の豫算は三國同盟(獨墺伊)豫算の總計に超過するこ
と八十萬磅なりと云ふ本年度豫算中の新造艦は主戰艦、巡洋艦各一隻、合して一萬八千噸
其他小形艦六隻に過ぎざれども其理由は前年來製造中もしくは新に起工す可きもの甚だ多
くして總計六十隻(内主戰艦九隻、裝甲海防艦三隻あり)に達し公私の造船所共に繁忙を
極むる際なれば一時に多數の製造に着手して其竣成に長年月を要するよりは寧ろ少數を製
造して速に功を奏するの方針に出でたるものなりと云ふ又佛の内閣は更迭頻繁にして海軍
卿の如きも千八百七十年來卅一回の代謝を見たれども海軍の實勢には毫も影響を及ぼさず
して着々進歩の一方のみなりと云ふ以て其基礎の確實なるを知る可し殊に造船、造兵術の
新工風は佛人の得意とする所にして彼のベルヴヰール氏の水管式汽鑵の如きは最良汽鑵と
して各國の歡迎する所と爲り其他大學校の新設、船渠の搨z、甲鐵艦の燃料に石腦油を採
用したる等、改良進歩の實少なからず就中海員名簿の制を設け航運業者及び沿海の漁業者
を悉く名簿に登録し海軍徴兵の本源として有力の豫備兵を造るの便に供し目下その人員は
十三萬五千人の中国萬人は戰時に於て最もョむ可き艦隊補充兵の資格を有するが如き佛國
海軍の特色にして此一點に至りては流石の英國も一着を讓らざるを得ずと云ふ以て佛國の
海軍が世界に於て自から第二位を占むるの實を見る可し