「外交略の説」
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時事新報に掲載された「外交略の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
對外の手段に付き或は今の國交際は詰る所、実力の問題にして國に富強の實を備ふるに非
ざれば如何なる妙案も實際に效なし日本の現状にて對外略などとは小刀細工と一般にして
到底無駄なりとて全く抛擲の説ある他の一方には外交の背後に實力の必要は勿論なれども
自から其間に施す可きの手段は多々にして小刀細工必ずしも厭ふ可らず有らん限りの術を
逞うして一歩にても利uを収むるこそ外交の妙處なれとて自から反對の説なきに非ず右は
單に説として見る可きのみならず往々事の實際にも現はるゝ所にして双方共に自から理由
なきに非ず喩へば相撲の取組を見るに體格と力量とは力士の資格に欠く可らず身體肥大に
して力の強きものは小弱の相手に對して勝を取ること必然なり勢に於て明白なれども相撲
の技、小なりと雖も亦自から術なきに非ず所謂四十八手の必要なる所以にして苟も手を知
らざるときは身體力量如何に強大なるも必ず勝を取ることは覺束なきに反し體格小にして
力に乏しきも手に巧なるものは強大なる相手に立合ふて立派に之を投出し天晴の名を博す
ることなきに非ず外交の手段も自から其趣を同うするものあり國に富強の實ありて背後に
有力なる海陸の軍備を備へ正々堂々他に對して一歩も讓らず以て一國の體面利uを維持擴
張するは外交の本色にして素より望む所なれども然れども是れは尋常一樣の事にして別に
珍らしき沙汰に非ず立國の海陸軍備は相撲の體格力量なり即ち有形の力を有形の邊に示し
て恰も十の物を十に計ふることなれば其間に別に方略の必要なく如何なる人物をして局に
當らしむるも差支なき筈なれども實際に外交の手段は斯る簡單のものに非ず左ればこそ西
洋の諸強國に於ても既に國力の充分なる尚ほ其上にも外交の掛引には最も魂膽を凝らして
虚々實々の手段を盡し實際に十の物を十五にも二十にも通用せしめんとして之を勉め時と
しては外交家の一言以て千軍萬馬を壓倒するの事例なきに非ず左れば國に實力なきときは
外交手段は一切無用なりとて全く抛棄するが如きは當局者が直接間接の略を知らずして自
から無能力を白状するに非ざれば國力云々を口實として自から責任を逃るゝの遁辭なりと
認めざるを得ず外交果して實力一偏の問題にして手段方略都て無効なりとあれば外交官の
如きは全く無用の長物にして之を置くの必要なきが故に其費用を移して軍備の一方に注入
し歳月を期〓〓〓〓充實の曉を待つの外なかる可し天下の奇談にして苟も政治家の口に發
す可らざる所のものなり外交の妙處は顯はるゝが如く隱るゝが如く遠きが如く近きが如く
内外尋常の眼力を以て測量す可らざるに在り其間には一刀兩斷の大决斷もある可し曖昧模
糊たる小刀細工もある可し都て是れ自國の利uに一分一厘を忘れざるの手段にして其緩急
剛柔は敢て傍より喙を容る可き限りに非ざれども兎にも角にも〓に實力云々の一方に偏し
て外交の四十八手を等閑に〓〓〓るが如きは我輩の感服せざる所なり