「警察の改良」
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時事新報に掲載された「警察の改良」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今回の内閣變動に警視總監の地位にも更迭を見たり我輩は此機會に際し聊か希望を述べんに警察は社會の安寧を維持し人民の名譽生命財産を保護するものにして取締の範圍甚だ廣く關係も亦隨て多しと雖も任務の大體は社會全般を目的にして其間に苟も輕重の別ある可らず從來警視疔の處置を見るに敢て務を怠るに非ず否な着々進歩の實は疑ふ可らずと雖も又一方より觀察するときは彼の政治上の探偵即ち高等警察に力を費すこと甚だ大にして比較上權衙を得ざるの嫌なきに非ず高等警察固より輕忽に付す可らずと雖も特に之に偏するの理由あるを見ず社會人事の進歩に從て普通警察の事務頻繁を加ふるは自然の勢にして人事瑣末の邊に至るまでも視察の眼に漏るゝことなからしめ直に人民の煩累を爲さずして自から其利害を保護す是れぞ即ち警察の本色にして民生の由て以て安き所以なり人智の進歩、社會の解明は一方に害惡の發生を促がしてますます裏面の醜態を搨キせしめ商工界の繁昌に隨て詐欺
師盜賊の輩は其術を發明工風して底止する所を知らず宗ヘ道コの議論漸く盛にして密賣淫の流行は以て衞生風俗を傷け或は田舍者が始めて出京して東西の方角に迷ふを奇貨とし巧みに籠絡して金錢を捲上ぐる狡猾奴あり往來に何か事あれば忽ち群集の雜沓を來して通行人の妨害を爲し又老幼の輩が馬車人力車に衝突して不慮の災難に遇ふが如き毎度の出來事にして珍しからず事小なるに似たれども其小惡事を苦計したるものこそ即ち全般の大惡害なれ左れば警察の眞面目は所謂國家の大事に心變するよりも寧ろ日常の細事件に就て細々注意するこそ願はしき所なれども今の實際は則ち然るを得ず其細事を等閑に附せずと云へば字義の如く民間日
常の事にまで干渉を試み唯徒に人を煩はすのみにして眞實優しき保護の趣意は却て之を忘るゝものあるが如し例へば田舍地方にて村翁が祭禮の濁酒に酩酊して路傍に臥す往來の巡査がこれを見て衞生の注意を輿へて之を起さんとするは何如にも親切なるに似たれども醉漢其命に從はずして何か抗言するや官吏を侮辱したりとて直に警察署に拘引し一夜留置所に留置きたる爲め却って寒冒に罹りたるの奇談さへなきに非ず此等は聊か極端の例なれども兔に角に人民に接するの法宜しきを得ずして爲めに犯罪を多くするが如き事實は實際に疑ふ可らず本來警察は社會共同の設置として一般の保護を目的とするものなれば漫に尊大に接するの必要なきのみか成る可く人民に接して成る可く丁寧親切を主とし啻に詐欺盜賊の類の如き社會の害惡に備ふるのみならず個人尋常の事或は交通往來の上にも細々注意して例へば老人小供が路に迷ひ泥濘に困却するが如き場合には之を扶けて親切に世話するなども自から忽にす可らず其他萬事萬端に心を付けて眞實保護の〓を擧ぐるに於ては警察の效いよいよ明にして始めて人民をして滿足せしむるに足る可し官吏民卑の宿弊警察法にまで普及し官に厚ふして民に薄ふするが如きは斷じて權衙を得たるものに非ず凡そ此事を始めとして弊害の除去すべきもの事務の改良擴張すべきもの甚だ少なからざる可し我輩は今日を以て尤も改良に適當の時機なりと認むるものなり